2023年8月2日水曜日

ヘラクレイトスと智の在り方

































前ポストで、ヘラクレイトスマルクス・アウレリウスも引用しているようだと書いた

そこで『自省録』を本棚に探したのだが、ある筈のところにない

そして今日、全く別物を探している時、昨日確かめた、ある筈のところにあるではないか

最近はこのようなことが日常茶飯事になり、嫌になる

早速、神谷美恵子訳で何を言っているのか見てみたい

つねにヘーラクレイトスの言葉をおぼえていること。曰く「地の死は水になることもあろ。水の死は空気になることにあり。空気の死は火になることにあり。そしてまた逆に。」また同じく記憶すべきものとしてつぎのものがある。「自分の道がどこへ向かっているかを忘れる者。」また「人びとは彼らがもっとも絶え間なく交わっているもの(すなわち「全体」を支配している理性)と不和でおり、毎日出逢う事柄を意外なものと考えている。」また「我々は眠っている者のごとく行動したり口をきいたりしてはならない。」というのは眠っているときでも我々は行動したり口をきいたりしているように思われるからだ。またその際[(親)の倅] のようであってはならない。すなわち単に祖先から伝えられた通りにやるのであってはならない。

当時唱えられていたエンペドクレスの4元素説との関連だろうか

土 → 水 → 空気 → 火 という循環があると考えていたようだ

また、この世界全体を支配している理性(ロゴス:logos cosmique)に馴染んでいないと、日々の出来事を理解できないということか

ヘラクレイトスには「自分ではなく理性(ロゴス)に耳を傾け、万物は1つであることを認めるのが賢明である」という言葉もある

ロゴスに親しんで生きることがストア派の善であるというところと通じるのだろうか


最後にわたしの認識とも合致する言葉をヘラクレイトスは残している
智を愛し求める人(哲学的人間)は、実に多くのことを探究しなければならない。

そう言った上で

 博識は知性を教えるものではない。そうでなければ、ヘシオドスピタゴラス らにも知性を教えていただろう。


ヘシオドスやピタゴラスの知の在り方に対する厳しい批判と見てよいだろう

それは現代の知の在り方にも通じるものである


 

 









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