2023年8月17日木曜日

出隆の「学問とは何か」



















出隆の『哲学以前』のつづきになる

これまで概論の序言に当たるところを見てきたが、ここからは緒言になるという

「哲学思慕」という序言に続く緒言は「立場と世界」と題されている

早速、その冒頭にある「学問とは何か」というエッセイを読むことにしたい


これからのいくつかの論考の中で、哲学の輪郭を示したい

その中で哲学の諸問題を捉え、哲学はなぜそれらの問題を自らの問題としなければならないかという哲学の動機を明らかにしたいという

そこで注意することは、哲学で使われる言葉——例えば、判断とか表象など――を最初から定義しようとせず、とにかくいろいろなものを読んでいく中でそのイメージを作り上げていくことだという

合点できるまで待つということだろうか

それでは最初のエッセイ「学問とは何か」に入りたい


学問を出来上がったものとすれば、一定の方針に基づいて知識や経験が選択され統一されたもの、すなわち知識体系と考えられている

とすれば、そこにある知識や経験とは何かという問いが現れる

哲学の始めには驚きがあると言ったのはアリストテレスだが、ヘルバルトはそれを疑惑であるとした

疑惑(疑念)とは、それが何かが分からない心の動揺状態だという

「それは何か」と問う何か(衝動)によって意識が分裂する状態が疑念だとも言える

それが A なのか、B なのか、あるいは C なのかが分かるまでの主客二分状態だとも言っている

すなわち疑念の解決とは、この分裂状態が知的・情的・意的に統一され、動揺が除去されることである


例えば、雷鳴を聞くという経験をしたとする

そこで起こった疑念に対して、ある人は神話的に(それは雷様が怒ったからだ)、またある人は物理的に(それは火花放電だ)解決しようとする

意識レベルの疑念については、さらに宗教的、芸術的、科学的、哲学的などの解決があるかもしれない

学問とは、このように多様な解決努力の成果の一つだという

ただ、どんなものでも学問になるのではなく、常識的なものや神話的解決はそこから除外される

著者は、学問を科学的、哲学的な解決に絞っている

その上で、それは何かという問いで動揺したところから、合理的な一つの立場で(一定の原理で)統一することにより出来上がる一つの知的体系を学問と定義している

あるいは、一定の原理によって抽出統一されることで出来上がる知識の集団と定義して、これからこの定義に修正を加えていくようだ







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