日本語の哲学入門書を読んでみることにした
哲学に興味を持ったのは、フランス語でものを読むようになったからである
わたしにもごく自然に思考に入っていくことができる空間がそこにあったからではないかと想像している
言葉を変えれば、書いている人が思考していることを感じ取ることができたということだろうか
それならわたしにもできそうだという感触となって伝わってきたのである
日本語の本からはそれを感じられなかったとも言える
促されなかったのである
2007年にフランスに渡ってからすでに16年が経っている
この時期に日本語による哲学入門書を読み直して、印象の変化について考えることにした
岩波現代文庫から刊行された2007年1月に手に入れたものである
「はしがき」には、次の言葉がある
不正確な歴史展望と、勝手な歴史批評にもとづいて、何か最新型の哲学的立場を、読者に提供したりするのも、本書の任務ではない。そのような哲学評論は、学会消息通の自己満足にはなっても、哲学とは何の関係もないことを知らねばならない。・・・ギリシア以来の本物の哲学者が、歩いてきた大道について見るならば、哲学の思想はもっと自由で、明るいものであることが知られるであろう。
この中にある「哲学思想はもっと自由で、明るいもの」という言葉が印象に残る
その後にある言葉は、当時思い至ったことと重なるものがある、とのメモがあった
すぐに私たちが納得するような、今日の問題を論じた言葉だけに耳を傾けていると、私たちはいつまでたっても、自分たち自身の先入見や思想的盲点に気がつかず、自分の気に入ったようにしか、ものが考えられないで、かえって時流に乗る他の者どもに支配され、自分自身の本当に独立した考えをもつことが出来なくなるのではないかと恐れられる。そしてなお、これらの古典を翻訳によって読む場合には、他の外国語訳も併せて読む方が、理解の助けになることが多いと思われる。
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