自然と生命を考える
In Search of a New Philosophy of Nature and Life
2026年5月9日土曜日
中学・高校時代の空気を思い出す
2026年5月6日水曜日
『ダモクレスの剣』が蘇る
The Sword of Damocles (1812) Richard Westall (1765–1836)
本日もボエティウス(480–524)の『哲学の慰め』から始めている
今日の部分では、わたしのテーマでもある「真の幸福」(beatitudo)について、哲学の女神が語っている
最高の幸福とは、それを獲得すれば、他には何も必要としない善、完全な状態であるという
そうではないのにそうだと思って追及する人がいる
その例が検討される
例えば、物が充足している状態、尊敬に値するものが手に入った状態、権力を手に入れるか、権力者とつながりを持った状態、その他に、名誉、快楽、貴族の身分、世間の人気、妻や子、身体の強壮などが出てくる
その上で、そのいずれもが最高の幸福(ベアティテュード)にはなりえないことが明かされる
この中に、過去の記憶を刺激する記述が出てきた
このやうにして王たちにとっては、必ずや [幸福より] 不幸の割合が多くなる。自らの地位の危険を体験した或る暴君は、王威にまつはる恐怖を、頭上にぶらさがつてゐる剱の恐怖になぞらへた。かくの如く、身を嚙むような不安を追い拂ひも得ず、又恐怖の刺を退けも得ないやうなものが、何の勢力であろう。(畠中尚志訳)
この件を読んだとき、このエピソードについて記事を書いたことを思い出したのだ
調べたところ、2番目のブログにその記事はあった
タイトルはそのものずばりの「« Epée de Damoclès » ダモクレスの剣」で、2009年9月27日のものであった
このような形で過去が蘇ってくるのは、いつも嬉しいものである
このエピソードの詳細は、上記リンクに当たっていただければ幸いである
その記事にあった「翳りゆく部屋」を聞きながら17年前を味わい直すことにした
2026年5月5日火曜日
サイファイ研究所ISHEの意義: Grokの見方
2026年5月4日月曜日
『哲学の慰め』から始める
2026年5月2日土曜日
ボエティウスの『哲学の慰め』を思い出す
mors hominum foelix (人の死は幸いである)
ということで、今日はボエティウスの書を久しぶりに読み直すところから一日を始めることにした
苦境に立たされた時に、その状態をどのように解釈するのか
そこで重要になるのが、感情に圧倒された濁った目で見るのではなく、哲学が教える理性に支えられた澄んだ目で見ることであると、哲学の女神? が教え諭す
その教えを理解できるようになって久しいが、有用性ということを敢えて出すとすれば、このあたりが哲学の根本的な有用性と言ってよいのではないだろうか
この基本を確認した後、新たなテーマについて考えを羽ばたかせていた
2026年5月1日金曜日
年の三分の一を終えて
2026年4月30日木曜日
「果てしない時間」から見る連休
2026年4月24日金曜日
マルセル・コンシュ『形而上学』の初校見直し終える
このところ、マルセル・コンシュの『形而上学』の初校の見直しに当たっていた
想像以上に時間がかかったが、本日すべてを終えて知泉書館の編集者に送ったところである
何度も読み返していると、その都度理解が深まっていることが分かる
アドーが言う読み方をしていると、確かに著者の声が立ち上がってくる
それ以前にはなかった認識に至るのを体感するのは、やはり楽しくもあり、満ち足りたものをもたらしてくれる
いつものことだが、それでも行き届かないところがある
しばらく時間をおいて、再び見直すことになるだろう
取り敢えず、今抱えているいくつかの焦点をオーガナイズしながら、新しいテーマを探索する方向に進むことができそうである
束の間の解放感を感じている











