2024年2月29日木曜日

ポパーによる「プラトンの呪縛」(13)自然と協定(3)






























2)倫理的実定主義は、事実として存在している規範(法)に還元されなければならないと信じている

存在するものは善であり、力は正義なのである

この立場からすれば、個人が規範を判断できると考えるのは大きな間違いであり、個人は社会が提供する規準に従うだけである

保守的であり、権威主義的な立場なのである


3)心理学主義的あるいは精神版自然主義は、上記2つの考え方の結合であり、それぞれの一面性に対する反論から議論される

倫理的実定主義者は、規範が人間の心理学的側面並びに社会の本性の表現であることを見落としている

同様に生物学版自然主義者が考える我々の自然な目標、規範――例えば、健康、食べること、寝ること、繁殖――に限定されていないことを見落としている

人間はパンのみに生きるのではなく、より高い精神的な目標を目指している人もいるのである


この立場はプラトン(427-347 BC)によって初めて述べられた

それは、ソクラテス(c. 470-399 BC)の「精神は身体よりも重要である」という理論の影響下にある

この立場は前二者よりも我々の感情に訴えてくる

しかし、これも人道主義的態度とも権力賛美とも結合される

例えば、トマス・ペイン(1737-1809)やカント(1724-1804)は、あらゆる人間個人の「自然な権利」を承認するために用いた

他方、特にプラトンによって、「優れた者」「選ばれた者」「賢者」「生れついた指導者」などの特権を正当化するために利用された


これらの考え方は、規範を事実に還元しようとする傾向と、我々のみが我々の倫理的決定に対する責任を負うという考えを認めまいとする傾向を持っている

たとえどのような権威が問題になろうとも、その権威を承認するのは我々である

その責任から逃れることはできないのである









2024年2月28日水曜日

ポパーによる「プラトンの呪縛」(12)自然と協定(2)



素朴一元論から批判的二元論に発展していくが、その間にはいくつかの中間段階が発生する

その中で重要なものに以下の3つがある

1)生物学版自然主義

2)倫理的・法的実弟主義(Positivismus)

3)心理学的・精神版自然主義

興味深いのは、いずれも権力を擁護するためにも、弱者の権利を擁護するためにも使われたことである


1)生物学版自然主義は、法の下での人間の平等だけではなく、強者の支配という対立する主張を支えるためにも用いられた

最初の提唱者であるピンダロス(522/528-442/438 BC)は、強者には支配者になる使命があるという考えを擁護した

我々には同等の権利があることを強調した生物学版自然主義を最初に主張したのは、ソフィストのアンティポンであった

彼は、規範は恣意的であり、自然と対立するとし、規範は外部から押し付けられたものであるのに対し、自然法則は避けられないとした

エウリピデス(c. 480-c.406 BC)も、奴隷の名前以外はすべての点で自由な人間に比べて少しも劣らないと言い、ソフィストのアルキダマス(4th century BC)も、神はすべての人間に自由を贈った、自然は何人も奴隷とはしなかったと書いている

これに対してプラトン(427-347 BC)やアリストテレス(384-322 BC)は、ギリシア人と野蛮人は生まれつき不平等なのであり、生まれつきの主人と奴隷に対応すると考えていた


ある行動様式が自然であると認めることはできるので正当化も可能である

しかし、芸術、科学に対する関心や自然主義的論証への関心は自然なものではない

また、自然法則に即して生きるのがよいとされるため、健康の条件などを自然法則から導き出して生きることになる

しかし、自分の健康よりも高く評価していることがあることを見落としている






2024年2月26日月曜日

ポパーによる「プラトンの呪縛」(11)自然と協定(1)





プラトンの呪縛に久し振りに戻ることにしたい

第5章は「自然と協定」と題されている


社会現象を学問的に捉えたのは、プラトン(427-347 BC)が最初ではない

ソフィストのプロタゴラス(c. 490-c.420 BC)の世代にまで遡ることができる

彼は人間を取り巻く環境を、自然環境と社会環境に分けて考えた

しかし、この両者を分けることは困難を極め、現代まで引きずっている

原始的な閉じた社会、あるいは部族社会を特徴づけるのは呪術的態度である

タブーや掟や慣習を季節の循環的推移あるいは自然の規則性と同じように、変更不能なものとして受け止める

こうした閉じた社会が壊れて初めて「自然」と「社会」の区別を理論的に解析できるようになる


この発展を分析するための重要な区別は、自然法則と規範としての法律や規範との識別である

自然法則の場合、変更や例外は認めないのが普通である

それに対して、規範としての法律の場合は変更可能で、受容や拒絶があり得るので真・偽はない

しかし多数の思想家は、自然法則と並ぶ規範が社会にも存在すると考えている


プラトンの社会学を理解しようとするならば、自然法則と規範としての法律の区別が成立した過程を考える必要がある

出発点は素朴一元論で、閉じた社会秩序の特徴である

この段階では自然法則と規範としての法律が完全に分離していない

この段階には、素朴自然主義と素朴慣例主義の2つの可能性がある

前者における規則性は自然のものでも慣習によるものでも変更不可能とされるが、後者の規則性は神々や霊が決めたもので、自然法則でさえ場合によっては変更される

最終段階は批判的二元論あるいは批判的協定主義と呼ばれるもので、開かれた社会の特徴である

魔術的社会が崩壊する原因は、タブーが部族により異なり、それを作っているのは人間だと認識され、自然法則との違いが意識されたことである

ギリシア哲学では、「事実と規範」を「自然と協定」の対立として語っている

自然は事実と規則性から成り立っているが、道徳的でも非道徳的でもない

我々は世界によって生み出されたのだが、自然は我々に世界を変革、予測し、未来を計画し、道徳的に責任ある決定を下す能力を与えてくれた

責任と決定がこの世界に我々と共に初めて登場したのである










2024年2月24日土曜日

Immunity: From Science to Philosophy は日本人として初めての試みか

































昨年出した『免疫から哲学としての科学へ』の英語版に当たる Immunity: From Science to Philosophy (CRC Press) がこの8月に刊行されることになっている

これまでそういう視点から考えたことがなかったので気付かなかったのだが、これは日本人が英語で免疫という現象について総合的に考察した初めての試みになるかもしれない

もちろん、それぞれの専門領域を科学的に記述することはされてきたが、そこを離れて全体に向かう動きはなかったか、極めて少ないのではないだろうか

少なくともわたしの目に留まったものはなかった

この点について情報をお持ちの方はお知らせいただければ幸いである


もしこれが初めての試みだとすると、驚くべきことである

日本の免疫学の長い歴史の中で、世界に開かれた形で免疫現象を広く論じることがなかったことを意味しているからである

日本の風潮として、科学の成果を分かりやすく、時には面白おかしく紹介することは一般的に行われている

ただ、そこから進んで、文化的な側面も含めて科学の成果を考えることがほとんど行われてこなかった

「科学を文化に」というような掛け声は聞こえてくるが、そこに肉付けがされていないようなのである

これは、そのような視点に対する感度あるいは嗜好と言ってもよいようなものが育っていないことの証左なのかもしれない

より一般的には、日本からの思想的な面での発信が弱いということとも通じる問題になるのではないだろうか

それをさらに手繰っていけば、哲学的思考(哲学や哲学者についての知識ではない)の欠落と関連があるように見える

この点も意識しながら、これからの歩みを進めていきたいものである










2024年2月23日金曜日

ブログの1年が経過






このところカフェ/フォーラムの準備に当たっていた

一つずつ片づけて行こうと思っていたが、なかなか進まないので気分が晴れなかった

今日、最後にすべてを終えることにした途端、気持ちがスッキリしてきた


ところで、このブログを始めてから1年が経過したことになる

それを長く感じるのか、短く感じているのかはよく分からない

ただ、フランスにいた頃に比べると、気分が昂るということはなくなっていることだけは間違いない

方法とかテーマなどを求める段階が過ぎ、そこで得たものをもとに歩むだけという段階に入っているからだろうか

暫くはこの状態が続くのではないだろうか













2024年2月19日月曜日

ポパーによる「プラトンの呪縛」(10)静止と変化(4)
























ポパー(1902-1994)の論述はこれでもかという調子で、わたしにはかなりしつこく見える

早速始めたい


支配階級の起源や教育に関するプラトン427-347 BC)の考えを理解しようとすれば、次の2点に注意しなければならない

第1は、スパルタとかクレタという過去の国家を再構築しようとしたこと

第2は、その国家の安定性の条件を支配階級の内部に求めたこと

支配階級の起源に関しては、最初の最善国家に先行する社会は族長の支配する山岳遊牧民の社会であったと言っている

家父長の支配下にあるのが、最も正当な支配であるとしている

ペロポネソス半島のスパルタなどに定住したドーリア人が支配人種の起源であり、山岳遊牧民が訓練された武装戦闘集団となり暴力的に居住民を征服したのが定住の実態である

プラトンによれば、よき支配者とは家父長的な牧者であり、支配の技術とは人間という家畜を押さえつけておく牧羊犬的能力である

支配階級の統一を保つためには、優生学的な幼児殺しをも擁護する

これはアテナイでは制度化されていなかったが、スパルタでは行われていた

古くからあるこの制度はよいに違いないとプラトンは判断した

もう1つ重要なのは、統治者や補助部隊は獰猛にして柔和な相対する性格を持っていなければならないということである

プラトンは体育と音楽(あらゆる文芸的な勉学を含む)によって、この2つの性格を学ばせようとした

すなわち、体育によってより獰猛になり、音楽によって優しく麗しくなるので、2つを結合できるのである

魂における柔和な要素を哲学の才能と同一視したプラトンだったが、音楽的・文芸的教育をよしとはせず、最強度の制限を課そうとした

ポパーはプラトンのこの態度が信じられないと言っている

それはアテナイよりはスパルタの慣習を選んだ結果であるが、クレタは音楽に対してさらに敵対的だったという

スパルタは体育に重点を置き過ぎ、アテナイは音楽を重視し過ぎたということだろう

いずれにせよ、支配する際に獰猛さは欠かせないが、それが優しさによって緩和された時にのみ、その支配は成功するとプラトンは考えていたようだ










2024年2月18日日曜日

ポパーによる「プラトンの呪縛」(9)静止と変化(3)














プラトン427-347 BC)が描いた完全国家、最善国家は具体的にどのようなものだったのだろうか

普通は、進歩主義者が抱くユートピアを目指すものではないかと解釈されてきた

しかしプラトンは、クレタやスパルタに見られる古代の原始社会の氏族的な形態を考えていたのではないかとポパー1902-1994)は言う

この2つの都市国家は古いだけではなく、硬直して動きを奪われた石のようになっているが、これをさらに安定・強化しなければならないとした

そのために、内部分裂を免れ、階級闘争を回避し、経済的影響を最小にする方法を明らかにしようとしたのである

プラトンが考えたのは、平等に向かうのではなく、奴隷制国家、身分制国家であった

支配階級が打倒されることのない圧倒的力を持つことで、この問題を解決しようとした

支配階級だけが武器の携帯を許され、政治上の権利を持ち、教育を受ける権利を有したのである


プラトンの最善国家には、3つの階級がある

つまり、統治者、統治者のための武装した補助部隊戦士、労働者の3つだが、現実的には軍事に従事する支配者と被支配者の2つだけである

労働者は支配階級の物質的必要を満たすための家畜に過ぎないとプラトンは考えていた

金銭で売買された人間は奴隷として区別したが、その制度の廃絶についての言葉はないという

支配者階級だけが政治力を持つ状況下で問題になるのは、階級間ではなく支配者階級内での経済的利害の対立であった

そのために共産主義(私的所有の禁止、財産の共有、家族の解体、)が導入された

そこに、統一を脅かす富も貧困も存在してはならなかったのである

そして、支配者階級は被支配者階級に対して、人種、教育、価値判断という3つの点における優越性があると主張することで統一を正当化したのである

ポパーは、人間の優越性や卓越性がそのまま政治的権利の付与につながらないどころか、寧ろ道徳的責任が生じると考えている







2024年2月16日金曜日

ポパーによる「プラトンの呪縛」(8)静止と変化(2)
























プラトン(427-347 BC)が社会学的な問題を論じているのは、『国家』『政治家』『法律』という後期の対話篇である

プラトンが抱えていた問題は、国家の原型・起源は完全で不変な国家だったので、それを変化させる最初の運動をどう説明するのかであった

『国家』によれば、原初の形態は「最善国家」で、最も賢く最も神に似た人間が統治する王国である

これが変化するのは理解しがたいのだが、プラトンはその原動力を私欲、物質的経済的利益の追求から生じる内部抗争、階級闘争に見ていた

マルクス(1818-1883)が言う「あらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」に通じる考えである

プラトンの『国家』によれば、以下の4つのステージを経て政治的腐敗が起こるという

完全国家に続くものは、名誉や名声を求める野心的な貴族の支配である「名誉政」で、プラトンはスパルタクレタにこの形態を見ていた

これが野心により分裂し、次いで富裕な家族群が支配する「寡頭政」が現れる

そこでは、競争や致富に向かう風潮が著しくなり、初めての階級闘争が生じる

寡頭政の側と貧困階級との争いから内乱が勃発し、支配者側が抹殺され、自由(放縦)、無法が支配する民主政が生まれる

プラトンは個人の自由を放縦と言い、法のもととの平等を無法状態と言っている

この他にも民主政に対して罵詈雑言を浴びせているところがあるという

最後に最終的な病としての僭主政が来る

その移行に際して、民主政における富者と貧者との階級的敵対関係を利用して、大衆受けする指導者が親衛隊を作るのはいとも簡単だと言っている

そして最初は自由の擁護者として拍手していた人たちも、やがて隷属させられ、矢継ぎ早に起こされる戦争では彼のために戦わざるを得なくなる

そこで最悪の国家形態が達成されるのである

『政治家』においては、完全国家の退化したコピーとしての僭主政、王政、寡頭政、貴族政、民主政について論じているという

いずれにせよ、これまでに指摘したように、プラトンの歴史は社会が腐敗する病の歴史のことなのである










2024年2月15日木曜日

Immunity: From Science to Philosophy の紹介サイト















8月に刊行予定の拙著 Immunity: From Science to Philosophy の紹介が、もう Routledge のサイトに出ている

 Routledge


まだゲラの校正も始まっていない半年前である

日本の場合、ゲラの校正が終わりかける1~2か月前だったと記憶しているので、かなり早いという印象だ

また、この本を大学の授業で使う教師がいることを想定して、採用の判断の参考になる資料を用意しているとのことで、その申し込みも始めている

これも想定外のことであったが、向こうの出版社としては当然のことなのだろう

競争に晒されているからなのだろうが、外に積極的に働きかける姿勢が見える

開かれた感じがする

配送料は世界中どこでも無料とあった






2024年2月14日水曜日

ポパーによる「プラトンの呪縛」(7)静止と変化(1)
























このところ春の気配を感じ、気持が立ち上がり跳ねるような感覚を覚えている

久し振りのことだ

その一方、悠々とした時の流れに変わりはない

永遠に近いものを感じながら歩んでいる


さて今日は、『開かれた社会とその敵』の第1巻(プラトンの呪縛)の第2セクション「プラトンの記述社会学」に入る

ここは2つの章に分けられている

第4章 静止と変化

第5章 自然と協定

では早速、「静止と変化」から始めたい


プラトン(427-347 BC)は最初の社会学者の一人であり、最も影響力のある人物であった

人間の社会生活、その発展法則、その安定性の条件の分析に、自らの観念的方法を適用したのである

それは大胆な思考と正確な事実観察との独創的な混合であった

大胆な思考の枠組みとして、形相、一般的な変化と腐敗、生成と没落についての理論があり、現実的な社会構造論を構築した

完全で善なる形相、イデアがあり、それが原型となって生れた知覚対象物が時間と空間において変化する

知覚対象物の始祖が完全・善なるものなので、そこからの変化は必然的に不完全・悪、腐敗へと向かわざるを得ない

変化は悪であり、静止は神聖なのである

プラトンは「絶対の永遠の不変性は、あらゆるもののうちでも最も神的なものにのみ帰属する」と言い、アリストテレス(384-322 BC)は「ものは、形相を分有することによって生成され、形相を喪失することによって腐敗する」と言っている


ティマイオス』で論じられている種の起源は、プラトンのこの理論と完全に一致している

次のような具合である

生物界で最高の地位を占めるのは人間で、神々によって創造された

他の種は人間が腐敗・退化する過程で作られた

最初に腰抜けや悪人といった男が退化して女が生まれる

知識に欠けるものが退化して、より下の動物に変化する

余りにも安易に生きている人間は鳥類に転化した

哲学に何の興味も示さなかった者から陸棲動物が生まれ、無知極まりない人間から魚類が生じた


ポパー(1902-1994)の見るところ、プラトンやヘラクレイトス(c. 540-c.480 BC)の哲学は、自身が被った社会的体験(階級闘争や社会的環境の解体)による気が滅入るような感情に由来しているという

そして社会学者としてのプラトンの偉大さを、こう説明する

それは、社会の腐敗法則における思弁にあるのではなく、観察の豊かさと詳細さ、社会学的直感の驚くべき鋭さにある

例えば、社会の原初における族長政治についての理論、政治や歴史発展において経済的背景を強調する社会・経済学的ヒストリシズム、そして革命において支配層の分裂を前提とする法則などに見てとれるという











2024年2月12日月曜日

リマインダー: 春のカフェ/フォーラムのご案内

























2024年春のカフェ/フォーラムの予定が以下のように決まりました

皆様の参加をお待ちしております


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◉ 2024年 3月6日(水) 
テーマ: J・F・マッテイの『古代思想』を読む(2) 
 

◉ 2024年3月9日(土) 
プログラム: 
① 矢倉英隆: シリーズ「科学と哲学」-5 
② 木村俊範: 日本のテクノロジーには哲学が無かったのか、置き忘れたのか?<ディスカッション・セッション> 
③ 佐賀徹雄: 社会のための科学について考えること――元工学研究者の問い 
④ フォーカス・ディスカッション<1>「進歩」について考える 


◉ 2024年3月12日(火) 
テーマ: スピノザと共に「知性改善」を考える 


◉ 2024年3月14日(木) 
テーマ: 意識研究では何が問題になっているのか 


◉ 2024年4月6日(土) 
テーマ: プラトン哲学からものの見方、生き方を考える 









2024年2月11日日曜日

小澤征爾、そして東洋と西洋



















小澤征爾氏が亡くなっていたことを知る

88年の人生だった

今の時代であれば、もう少し生きられたのではないかという気もする

ただ、病気との戦いだった後半生を考えると、その時が来たのかもしれない


その存在をいつ知ったのかは思い出せない

が、印象に残っているのは、学生時代に読んだ『ボクの音楽武者修行』(音楽之友社、1962年)だろうか

心躍ったことを思い出すと同時に、いつかは自分も外に出なければならないと思ったはずである

最初に実物に触れたのは、ボストンで研究生活を始めた1970年代後半のことになる

ボストン交響楽団の演奏会を聴くために行ったシンフォニーホールでのこと

颯爽と登場する姿を、どこか誇らしさを感じながら右側前方のバルコニーから見ていた

指揮者はオーケストラだけではなく、ホール全体を統御しているということを知った

残念ながら、当日のプログラムは思い出せない


それから7年に及ぶアメリカ生活だったので、何度もいろいろな媒体で触れていたはずである

その中で今でも印象に残っているのは、あるドキュメンタリー番組での彼の行動である

その時、チェリストのヨーヨー・マ(1955-)と屋外で対談(雑談)をしていたが、突然カメラの前に来てそれから先の撮影を遮ったのである

丁度、西洋音楽を東洋人が演奏することについての話題に入るところだった

当時はやや芝居がかっているなと思ったので、その深刻さには気づいていなかったのだろう

今回、テレビで流れていた映像を観ると、このテーマについて語っている場面も出ていた

あれから時間が経っているので客観度は増してはいるが、やはりそこに在る問題だということを認識できた


科学も同じように西洋由来のものであるが、音楽家ほどにはその壁を感じていないように見える

日本の近代科学は技術に集中することにより発展してきたからだろうか

しかしそのため、科学を支える精神的な文化に関する理解は乏しいというのが一般的な評価である

小澤によれば、若き日の日本は西欧の音楽に対抗するには技術しかないと考えていたようである

その点では科学と同じ出発点に立ったのだろう

遅きに失したとはいえ、今、それから先が求められる時代にいろいろな分野が入っているように見える






2024年2月8日木曜日

ポパーによる「プラトンの呪縛」(6)プラトンのイデア論



















イデア論を理解するためには、ギリシアの神々と比較するとよく理解できるという

ギリシアの神々の一部は、部族の始祖の理想化である

こうした神々は完全であり、不死であり、永遠であるが、普通の人間は生成流転の中にある腐敗に晒されている

それがイデアとそれを模倣した知覚対象物との関係になる

銅版画や浮世絵のように、原版とそこから刷られた複製との関係と言ってもよいだろう

違いがあるとすれば、イデアの場合にはただ一つの形相しかないという唯一性である

似たようなものがあるとすれば、その形相を分有していると見るのである


これとヒストリシズムはどう関係するのだろうか

もし、流転するのがこの世界だとすると、それについて確定的なことは知り得ない

それにヒントを与えたのが、パルメニデス(c. 520-c. 450 BC)であった

パルメニデスは、経験から得られる見解とは別に、純粋に理性によって得られる認識は、不変の世界を持つことができると説いた

プラトン(427-347 BC)はこの考えに感銘を受けたが、それがは知覚対象物の世界と何の関係も持っていないことに不満を覚えた

彼はこの世界の秩序、政治的変動の探究に役立つ知識を得ようとしたのである


しかし、変遷する世界において確固として知識を得ることは不可能に見えた

そこでヒントを得たのが、ソクラテス(c. 470-399 BC)のやり方であった

ソクラテスが倫理について考える際に取った方法は、次のようなものであった

例えば1つの性質(賢明さ)について、さまざまな行動に現れる賢明さを論じ、そこに共通するものを明らかにする

アリストテレス(384-322)はこれを、その本質を取り出す作業と言っている

その本質とは、そのものに内在する力、あるいは変わらない内容を指している

アリストテレスによれば、ソクラテスは普遍的定義の問題を提起した最初の人ということになる

プラトンは、変化の中にある知覚対象物とは別に、その中にある普遍の本質的なものは知ることができるのではないかと考えた

それを形相あるいはイデアと名付けたのである

このやり方は、意識していたわけではないが、わたしが『免疫から哲学としての科学へ』の中で免疫の本質を探る際に用いたものと全く同じである


プラトンのイデア論は少なくとも3つの機能を持つという

1)この理論は、直接的には知り得ない変化する世界に対しても適応が可能になるので、社会や政治を分析する上で重要な補助手段となる

2)これは、変化の理論、腐敗の理論、すなわち生成と没落の理論への鍵を提供する

3)これは、ある種の社会工学への道を切り開き、政治的変化を阻止する道具を鍛えあげることを可能にし、腐敗することのない最善国家を示唆する


ポパーは、このようなプラトンの考え方を、方法論的本質主義(本質論)と呼ぶ

つまり、学問の課題は、隠されている本当の姿すなわち本質を発見し記述することにあるという考えである

その本性は、それらの始祖あるいは形相の内に発見されると考える

わたしの免疫論では、始祖とも言える細菌の免疫系にその本質が具現化されていたので、この点にも納得がいく


この考えと対極にあるのが、方法論的唯名論と名付けたものである

こちらは、対象の真なる本性を見い出し記述することは課題とはしない

その目的は、様々な状況下でどのように振る舞うのかを記述し、そこに規則性の有無を確認することである

例えば、エネルギーとは何かとか、運動とは何かという問いには意味を見出さない

そうではなく、そのエネルギーはどのように利用できるのか、惑星はどう動いているのかということが重要だと考えるのである

哲学者の中には、初めに定義が重要だと考える人もいるだろうが、実際の物理学はそれなしに問題なく動いている

つまり、この考え方は現代の自然科学が用いているものなのである

ただ、社会科学においては、未だに本質主義的な方法が採られている

ポパーは、それが社会科学の後進性を示していると見ているが、他の研究者は2つの領域は本質的に違うという判断を下しているという







2024年2月7日水曜日

ポパーによる「プラトンの呪縛」(5)プラトンのイデア論

































本来のヒストリシズムを徹底するならば、歴史的運命の法則を人間の力によって変えることができないと考えるだろう

しかし、プラトン(427-347 BC)はそれが可能であると考えていたようである

彼のヒストリシズムを、それとは正反対にある社会工学的な態度と比較してみたい


社会工学者は、歴史とか人間の運命といったものを問うことはない

彼等は自分たちの力により人間の歴史に影響を与え、変革できると信じているが、それらは歴史によって課せられたものだとは信じていない

自分たちの目標に合わせて自らが作り出したもの、あるいはそのために必要になる社会技術こそが政治の科学的な基礎であると見ている

したがって、例えばある制度について考える時、一つの目標を達成するためにはこの制度は役立つように組織されているのか、そうでないとすればどうすれば利益を最大化できるのかというようなことが問題になる

これに対して、ヒストリシストは、政治行動が理解可能になるのは歴史の将来の成り行きが定められる必要があると考え、制度について見る時にはその起源や使命、真の役割を発見しようとする


プラトンの政治哲学や社会哲学は、この両面が結びついた結合体だったという

彼の政治目標はヒストリシズム的教義によっている

1)目標は、歴史過程の腐敗において出現するヘラクレイトス的流転を免れること

2)それを成し遂げるためには、腐敗に染まらない完全国家を樹立すること

3)完全国家のモデルは、歴史の腐敗を経験していない黎明期にある


変化する事物は、退化し腐敗する

その変化するものの大元に当たるのが、「モデル」あるいは「イデア」であった

プラトンにとってのイデアは、起源であった

ここで注意しなければならないのは、形相・イデアは心の中の観念ではなく、普通の事物よりも実在性が高いことである

ただ、それは時空間の内部ではなく、空間の外、時間の外に存在する

感覚器では把握できず、ただ純粋な思考によってのみ近づくことができるという

(これは、観念ではないということとどのような関係にあるのか)









2024年2月6日火曜日

ポパーによる「プラトンの呪縛」(4)プラトンのイデア論

































今日は「起源と運命の神話」の第3章(プラトンのイデア論)を読みたい

プラトン(427-348 BC)は戦争と政治的激動を生きた

彼が若い時、アテナイでの部族生活は崩壊し、僭主政を経て民主政へと進んだ

スパルタとのペロポネソス戦争(431-404 BC)は、中断を挟んで28年にも及んだ

プラトンが生まれたのはこの戦争が始まってからで、終わった時には20代前半の青年であった

この戦争中に疫病が起こり、自らも病に侵されながらトゥキュディデス(c. 460-395 BC)が『戦史』の中で詳述しているが、その中に免疫現象を示唆する有名な記述がある


このような時代背景が、ヘラクレイトス(c. 540-c. 480 BC)同様、プラトンの中にある政治的不安定性、不確実性の要素を決定していた可能性がある

そこからプラトンは、政治的な状態だけではなく、万物は流転するという認識を持つに至ったのである

王家の血を引く彼は、当初は政治的活動を望んでいたが、青年期に体験した激動により、その熱が冷めて行ったようだ

そんな中、過去のヒストリシストと同様、歴史の発展法則を立てて自らの経験を概括した

その法則とは「あらゆる社会的変化は、退廃、腐敗、退化に至る」であった

これは、あらゆる生み出されたものに当て嵌まる宇宙的法則の一部であった

人間の歴史は宇宙的な枠踏みの中で紡ぎ出されるという考えで、彼の時代は最も深い退廃の時代であると見ていた


プラトンとヘラクレイトスの考えには類似点はあったが、プラトンは歴史的宿命(腐敗)の法則は、人間の道徳的意志によって打破できると考えていた

歴史の腐敗は、結果として道徳の腐敗をもたらすと信じていた

政治の腐敗は道徳の腐敗、知識の欠如が原因だと考えていた

そこでプラトンは、腐敗も変化もしない最善にして完全な国家を求めたのである

通常の腐敗する対象に対応する腐敗することのない完全な対象があると考えたのである

それが形相あるいはイデアと呼ばれるものである











2024年2月5日月曜日

ポパーによる「プラトンの呪縛」(3)ヘラクレイトス



























ヘラクレイトスc. 540-c. 480 BCは変化を強調した

そして、すべては炎に等しいとした

土、水、空気などは炎が変性したものであると考えた

それらはものと言うより、プロセスであるとしたのである

その上で、プロセスの中に法則、理性を発見する

この法則は抗いがたいもので、ヘラクレイトスにおいては、法や規範と自然の法則や規則性との区別がされていない

そのため法や規範は、自然法則と同じように批判することは考えにくいことになったのである


無慈悲な宿命というヒストリシズムの考えは、神秘主義と結びついていることが少なくない

ヘラクレイトスの哲学においても、反合理主義と神秘主義が見られる

彼は「自然は自らを隠すことを好む」と言う

また、経験を重んじる探究者たちを軽蔑した

この学問への軽蔑と、知力は直観的であるという神秘主義的な理論を持っていた

ヘラクレイトスの認識論は、我々は互いに理解し合い統制、修正し合う共通の世界に住んでいるということから出発する

しかし、そこには神秘主義的要素が含まれている

このような認識に至るには、神秘的な直観が与えられた選ばれた者である必要があるとしたのである

彼は言う

「人間は寝ているかのように行動したり語ったりしてはならない。・・・目を覚ました者にとってのみ、唯一共通の世界が存在する。・・・寝ている者には、存在すれども存在せずという格言が当て嵌まる」

「普遍的なものに従うべきである。・・・理性は普遍的である・・・万物は一者となり、一者は万物となり・・・唯一知恵である一者は、ゼウスの名をもって呼ばれることを欲しもし、欲しもしない・・・それはあらゆるものを導く雷である」


ヘラクレイトスは、戦いと争いこそあらゆる変化を生み出す動的にして創造的な原理であると明言している

そして、歴史の裁定の内に道徳上の裁きも見る

なぜなら、戦争の結果は常に正しいという考えを持っているからである

彼は言う

「戦いは万物の父であり王である。戦いは一方を主人とし他方を奴隷とすることで、前者が神々で、後者は人間であることを示す。・・・戦しょじるいはあらゆるものに遍在し、権利は争いであり、あらゆるものが争いと必然性にもとづいて生じることを知らねばならない」

もし戦いの結果を常に正しいというのであれば、その基準は変化すると考えられる

この問いに対してヘラクレイトスは、対立するものの同一性を基にした相対主義で対抗する

変化するならば、ある種の属性を放棄して、それとは対立する属性を受け容れなければならないというのである

彼は言う

「冷たいものが温かくなり、温かいものは冷たくなる。湿ったものが乾き、乾いたものが湿る。・・・病は健康を有難くする。・・・生と死、覚醒と熟睡、若年と老年――これらは同じものである。・・・区別されるものが自分自身に一致する。・・・対立物は調和する。調和のないところから最良の調和が生じる。すべては争いから生じる。・・・登り道と下り道は同じである。・・・善と悪とは同一である」


ヒストリシズム的考えは大きな社会的変革の時代に登場することが多い

ギリシアの部族生活が崩壊した時、ユダヤ人の部族生活がバビロニア人によって征服された時に起こった

ヘラクレイトスの哲学は、このような時代の漂流感の表現であるとも言えるだろう

その後、産業革命の時期、アメリカ、フランスにおける革命の時期に新しい息吹が与えられた

そこから近代のヒストリシズムに繋いだのはヘーゲル(1770-1831)だったとポパー(1902-1994)は見ている










2024年2月4日日曜日

ポパーによる「プラトンの呪縛」(2)ヘラクレイトス



























今日は、ポパー(1902-1994)の「プラトンの呪縛」の第2章ヘラクレイトスc. 540-c. 480 BC)を読みたい

ヘラクレイトスについては、昨年秋の第9回FPSSでも取り上げたので、どのような話が出てくるのか興味深い


ヒストリシズムの関連で、古代ギリシアで選民思想に相当するものが最初に見られるのはヘラクレイトスだという

ホメロス(8th century BC?)の有神論的(多神論的)歴史解釈では、歴史を生み出しているのは神の意志ということになる

ただ、ホメロスの神々は歴史の法則を決めているわけではない

ヒストリシズムの明確な教義を導入した最初のギリシア人はヘシオドス(8th century-7th century BC)である

歴史の発展には一般的な傾向があると考えていた

ヒストリシズムの流れが頂点に達したのは、プラトン(427-347 BC)においてであった

彼はヘシオドスの影響下にあったが、最も重要な影響を受けたのはヘラクレイトスからであった


それまでは、オリエント思想の影響を受け、世界は物質により構築された建造物と見ていた

そのため哲学者の問いは、「世界はいかなる素材からどのように作られているのか」であった

しかしヘラクレイトスは、そのような建造物、安定した構造、コスモスは存在しないと考えた

むしろ、世界を巨大なプロセスとして、あらゆる出来事、変化、状態の全体として、想定したのである

「すべては流れ、何ものも静止していない」というのが彼の考えであった

彼の哲学は、パルメニデス(c. 520-c.450 BC)、デモクリトス(c. 460-c. 370 BC)、プラトン、アリストテレス(384-322 BC)の哲学に大きな影響を与えた


ヘラクレイトスは、自然のみならず、倫理的、政治的問題にも関わった最初の哲学者であった

彼が生きた時代は、部族的貴族政から民主政に移行する変革の時代だった

部族的貴族政における特徴は、誰もが社会構造の中に自分の居場所を持っているということである

ヘラクレイトスは、自分の居場所であるエフェソスの司祭王一族の当主の座を弟のために放棄したが、貴族たちの大義は支持していた

例えば、こんなことを言っている

「一人の男の意思に従うのが掟であろう」

「民衆は、城壁を守るために戦うように都市の掟を守るために戦うべきである」

しかし、年の掟を守るための戦いは実らず、無常さが彼の心に刻まれた

それが彼の変化の理論に反映されているのではないかとポパーは言う

「万物は流転する」

「人は同じ川に二度と入ることはできない」

このように生成流転を強調することは、ヘラクレイトスに限らず、ヒストリシズムの重要な特徴だという

しかしその背後に、変化することのない運命の法則が存在するのだという信仰が結びついているのである

これもヒストリシズムの特徴である

その原因は、ヒストリシストたちが実は変化に無意識の内に抵抗しているからではないかという

そう言えば、パルメニデスやプラトンは、この世界は生成流転であり幻想にすぎず、何ら変化のない世界が実在すると考えていた









2024年2月2日金曜日

ポパーによる「プラトンの呪縛」(1)
































ポパー(1902-1994)の『開かれた社会とその敵』の最初のテーマ「プラトンの呪縛」に入りたい

最初のセクションは「起源と運命の神話」と題され、

第1章がヒストリシズムと運命の神話
第2章はヘラクレイトス
第3章はプラトンのイデア論

となっている

今日は第1章を読むことにしたい


政治に対して真に科学的、哲学的な態度をとるためには、人間の歴史を考察、解釈しなければならないという考えがある

学者はものごとをより高いところから考察するのだというが、その場合普通の人間は考察の対象から消え、偉大な民族とか指導者、偉大な階級とか理念がその対象となる

その中から歴史発展の法則を明らかにし、未来の予測を可能にするのだという

これがポパーの言うヒストリシズムの考え方である

もしこの方法が使えないものであり、価値のない成果しか生み出さないのであれば、その生成と成功をおさめた理由を研究するのは有益だろう


ヒストリシズムの古くからある単純な形態の一つに選民思想がある

この思想は、有神論的な解釈をとると、この世界の原作者である神がその意志の実現のために一つの民族を選んだと見做す

しかし他の形態では、神の意志ではなく、自然法則であったり、精神発展の法則であったり経済発展の法則であったりする

選民意識は部族を組織の原理とする社会から産まれた

部族主義は、部族の前にあって個人はいかなる意義も持ちえないとする立場である

同様に、部族の代わりにグループ、集団、階級を強調する立場もある

もう一つの側面は、歴史の目標を遥か彼方の未来に置くため、その間の行程がどのように乱れようとも最終的に保証されてしまうことである


選民思想は、右翼における人種主義やファシズム、あるいは左翼におけるマルクス主義の特徴と合致している

人種主義では民族に代わり選ばれた人種が登場し、その生物学的優越性が歴史の成り行きを説明する

また、マルクス(1818-1883)の哲学においては選ばれた階級がが取って代わり、経済主義的発展法則で説明される

これらの起源にはヘーゲル(1770-1831)の哲学があり、ヘーゲルは古代のヘラクレイトス(c. 540-c. 480 BC)、プラトン(427-347 BC)、アリストテレス(384-322 BC)の影響を受けている

そのため、これからこれらの哲学について検討を加えることになる








2024年2月1日木曜日

ポパーの『開かれた社会』を読む(3)ヒストリシズムとは
































今日は、ポパー(1902-1997)の『開かれた社会とその敵』の序論を読んでみたい


本書は、人間性、理性、平等、自由を標榜する我々の文明が見つめなければならない困難を記述しようとしている

この文明は、魔術的な力に屈服していた「閉じた」社会秩序から、人間の批判的な能力を解放する「開かれた」社会秩序に移行する際に受けたトラウマからまだ回復していない

「開かれた」社会から「閉じた」社会へと逆戻りさせる一つに全体主義があるが、それを理解し、それに対して永続的に戦うことの意義を解明したいという

社会の再建にかかわる問題を合理的に論じようとする時、いくつかの障害が現れる

その中に、社会の民主的変革は不可能であるという偏見を作り出している観念があり、その最も強力なものを「ヒストリシズム」とポパーは呼ぶ

ヒストリシズムの生成、発展、そしてその影響を分析することが、この書の主要テーマの一つになる


ポパーの時代、全体主義的傾向の急速な台頭が見られたが、それに対する理解を広めるための社会科学、社会哲学の無能ぶりが明らかになった

そこではしばしば、全体主義的手段をとることは避けられないという論評が聞かれたのである

民主主義は、全体主義と戦おうとする場合、それを模倣しなければならず、自らが全体主義的にならざるを得ない

あるいは、集団主義的な計画化が採用されなければ、産業社会が機能し続けることはできないという主張である

このような尤もらしい論法を検討するためにポパーは、そもそも社会科学は広範な歴史予言をなしうるのかという問いを立てる

ある社会学者は、科学の機能は予測すること、とりわけ長期的な歴史予言の提供にあり、歴史の法則を発見しなければならないと主張する

あるいは、社会科学が有用であるべきだとしたら、予言的でなければならないという偏見を持っている

このような傾向が、ポパーの言うヒストリシズムである

しかし研究の結果、このような包括的な歴史予言は科学的方法の及ぶところではないと結論し、指導者の中で広まっている歴史について予言するという危険な慣行を批判する


ヒストリシズム的見解が主張される場合、未来は決まっているのだからと言って、現実の課題を見つめることができなくなる可能性がある

戦争が迫っていても、官僚主義がもたらす専横が見られても、政治の腐敗が極まっていても、である

あるいは、そう予言することにより、その実現に手を貸すことになるかもしれない

全体主義的観念と戦っている者たちから勇気を奪いかねない


それにしても、なぜこの考え方が多くの知識人を引きつけ、誘惑するのか

ポパーによれば、この世界が道徳的にも、完全でありたいという夢想にもかなっていないことへの不満の現れてはないかと見ている

ヒストリシズムには文明への反乱を支援する傾向があるのではないかという

ポパーは、プラトン(427-347 BC)の正義論と現代の全体主義的傾向の持つ理論と実践との類似性から検討を始めるようだ