今日は、ポパー(1902-1997)の『開かれた社会とその敵』の序論を読んでみたい
本書は、人間性、理性、平等、自由を標榜する我々の文明が見つめなければならない困難を記述しようとしている
この文明は、魔術的な力に屈服していた「閉じた」社会秩序から、人間の批判的な能力を解放する「開かれた」社会秩序に移行する際に受けたトラウマからまだ回復していない
「開かれた」社会から「閉じた」社会へと逆戻りさせる一つに全体主義があるが、それを理解し、それに対して永続的に戦うことの意義を解明したいという
社会の再建にかかわる問題を合理的に論じようとする時、いくつかの障害が現れる
その中に、社会の民主的変革は不可能であるという偏見を作り出している観念があり、その最も強力なものを「ヒストリシズム」とポパーは呼ぶ
ヒストリシズムの生成、発展、そしてその影響を分析することが、この書の主要テーマの一つになる
ポパーの時代、全体主義的傾向の急速な台頭が見られたが、それに対する理解を広めるための社会科学、社会哲学の無能ぶりが明らかになった
そこではしばしば、全体主義的手段をとることは避けられないという論評が聞かれたのである
民主主義は、全体主義と戦おうとする場合、それを模倣しなければならず、自らが全体主義的にならざるを得ない
あるいは、集団主義的な計画化が採用されなければ、産業社会が機能し続けることはできないという主張である
このような尤もらしい論法を検討するためにポパーは、そもそも社会科学は広範な歴史予言をなしうるのかという問いを立てる
ある社会学者は、科学の機能は予測すること、とりわけ長期的な歴史予言の提供にあり、歴史の法則を発見しなければならないと主張する
あるいは、社会科学が有用であるべきだとしたら、予言的でなければならないという偏見を持っている
このような傾向が、ポパーの言うヒストリシズムである
しかし研究の結果、このような包括的な歴史予言は科学的方法の及ぶところではないと結論し、指導者の中で広まっている歴史について予言するという危険な慣行を批判する
ヒストリシズム的見解が主張される場合、未来は決まっているのだからと言って、現実の課題を見つめることができなくなる可能性がある
戦争が迫っていても、官僚主義がもたらす専横が見られても、政治の腐敗が極まっていても、である
あるいは、そう予言することにより、その実現に手を貸すことになるかもしれない
全体主義的観念と戦っている者たちから勇気を奪いかねない
それにしても、なぜこの考え方が多くの知識人を引きつけ、誘惑するのか
ポパーによれば、この世界が道徳的にも、完全でありたいという夢想にもかなっていないことへの不満の現れてはないかと見ている
ヒストリシズムには文明への反乱を支援する傾向があるのではないかという
ポパーは、プラトン(427-347 BC)の正義論と現代の全体主義的傾向の持つ理論と実践との類似性から検討を始めるようだ
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