2024年2月8日木曜日

ポパーによる「プラトンの呪縛」(6)プラトンのイデア論



















イデア論を理解するためには、ギリシアの神々と比較するとよく理解できるという

ギリシアの神々の一部は、部族の始祖の理想化である

こうした神々は完全であり、不死であり、永遠であるが、普通の人間は生成流転の中にある腐敗に晒されている

それがイデアとそれを模倣した知覚対象物との関係になる

銅版画や浮世絵のように、原版とそこから刷られた複製との関係と言ってもよいだろう

違いがあるとすれば、イデアの場合にはただ一つの形相しかないという唯一性である

似たようなものがあるとすれば、その形相を分有していると見るのである


これとヒストリシズムはどう関係するのだろうか

もし、流転するのがこの世界だとすると、それについて確定的なことは知り得ない

それにヒントを与えたのが、パルメニデス(c. 520-c. 450 BC)であった

パルメニデスは、経験から得られる見解とは別に、純粋に理性によって得られる認識は、不変の世界を持つことができると説いた

プラトン(427-347 BC)はこの考えに感銘を受けたが、それがは知覚対象物の世界と何の関係も持っていないことに不満を覚えた

彼はこの世界の秩序、政治的変動の探究に役立つ知識を得ようとしたのである


しかし、変遷する世界において確固として知識を得ることは不可能に見えた

そこでヒントを得たのが、ソクラテス(c. 470-399 BC)のやり方であった

ソクラテスが倫理について考える際に取った方法は、次のようなものであった

例えば1つの性質(賢明さ)について、さまざまな行動に現れる賢明さを論じ、そこに共通するものを明らかにする

アリストテレス(384-322)はこれを、その本質を取り出す作業と言っている

その本質とは、そのものに内在する力、あるいは変わらない内容を指している

アリストテレスによれば、ソクラテスは普遍的定義の問題を提起した最初の人ということになる

プラトンは、変化の中にある知覚対象物とは別に、その中にある普遍の本質的なものは知ることができるのではないかと考えた

それを形相あるいはイデアと名付けたのである

このやり方は、意識していたわけではないが、わたしが『免疫から哲学としての科学へ』の中で免疫の本質を探る際に用いたものと全く同じである


プラトンのイデア論は少なくとも3つの機能を持つという

1)この理論は、直接的には知り得ない変化する世界に対しても適応が可能になるので、社会や政治を分析する上で重要な補助手段となる

2)これは、変化の理論、腐敗の理論、すなわち生成と没落の理論への鍵を提供する

3)これは、ある種の社会工学への道を切り開き、政治的変化を阻止する道具を鍛えあげることを可能にし、腐敗することのない最善国家を示唆する


ポパーは、このようなプラトンの考え方を、方法論的本質主義(本質論)と呼ぶ

つまり、学問の課題は、隠されている本当の姿すなわち本質を発見し記述することにあるという考えである

その本性は、それらの始祖あるいは形相の内に発見されると考える

わたしの免疫論では、始祖とも言える細菌の免疫系にその本質が具現化されていたので、この点にも納得がいく


この考えと対極にあるのが、方法論的唯名論と名付けたものである

こちらは、対象の真なる本性を見い出し記述することは課題とはしない

その目的は、様々な状況下でどのように振る舞うのかを記述し、そこに規則性の有無を確認することである

例えば、エネルギーとは何かとか、運動とは何かという問いには意味を見出さない

そうではなく、そのエネルギーはどのように利用できるのか、惑星はどう動いているのかということが重要だと考えるのである

哲学者の中には、初めに定義が重要だと考える人もいるだろうが、実際の物理学はそれなしに問題なく動いている

つまり、この考え方は現代の自然科学が用いているものなのである

ただ、社会科学においては、未だに本質主義的な方法が採られている

ポパーは、それが社会科学の後進性を示していると見ているが、他の研究者は2つの領域は本質的に違うという判断を下しているという







0 件のコメント:

コメントを投稿