2023年6月29日木曜日

今年も半年が過ぎて




















その昔のパリ生活では一日のほとんどを占めていた歩きながらの、あるいはカフェに落ち着いての瞑想生活

そのような時間を日課の合間に取ろうというのが新しい日常である

まだ1週間足らずだが、それなりに実行できている

僅か1時間程度なので、手元にあった本に目を通すというものではあるが、精神がシャキッとするように感じる

どれだけ続くのか、様子を見ることになる


今年も半分が過ぎようとしている

昨年までは年のはじめに1年のプロジェなるものを設定して歩んできた

しかし、今年は年のはじめの自分にその年を縛られるのは嫌だと思うようになって来た

インプロヴィゼーションの余地がなくなるのも詰まらない

ということで、今年は年初のプロジェなしに歩んでいる

それで不都合がないどころか、寧ろ想像もしなかったような展開が生まれている

その時その時に集中しているからだろうか、それなりの選択がある

今年は一体どんなことがあったのか、と年末に自らの歩みを振り返るのが楽しみである

という状態の方がよいのではないだろうか







2023年6月27日火曜日

新しい日常の感触、そして『免疫学者のパリ心景』の感想

















このところの日課に加えて、新たな日常を始めることにした

取り敢えず、その辺に置かれていた10年ほど前に買った本を外に出てパラパラと捲ることにした

その本はこれまで毎日視野に入っていたのだが、全く意味を持っていなかった

それが新しい日常に組み込まれることにより、生き返って来た

不思議である

意識の持ち様で目の前の景色が変わるのである

受け取る側があっての対象であることが分かる


今日読んだ中に、さらに読みたいものが紹介されていた

注文しようと思って念のためにパリの本棚を調べると、すでに買っていた

こういうことが増えている

それと、読みたいものを本棚から探し出すのに一苦労することも稀ではない

ではあるが、新しい日常の感触は悪くない


ところで『免疫学者のパリ心景』についてのツイートを見つけたので、貼り付けておきたい

読者の脳内を刺激するようにエネルギーを込めて書いたので、このような感想を読むのは嬉しいものである

人生の書として広く読まれることを願っている









2023年6月26日月曜日

ブーニン、あるいは何もしない時間の大切さ



















このところ、日課に当たる時の精神状態が非常によいようだ

集中力が高まり、注意深くなり、忍耐強くなっている

これまでで一番いい状態ではないだろうか

ただ、目の前にあるものに向き合うだけなので、一種の機械になっているようにも感じる

また、この集中は体に疲労をもたらす

そのためか、新たに加わった日常は結構疲れそうである

まあ、無理をしないで続けることにしたい


ところで、昨夜寝る前にテレビをつけると、ブーニンさんの復活までのドキュメンタリーが流れていた

以前にも観たことがあるので消そうとしたが、新しい発見があるかもしれないと思い、再度観ることにした

今回改めて気づいたことは、何もしない時間の大切さであった

わたしの場合には、所謂仕事をしていると思考が狭められると感じ、16年前に一切から自由になる生活を選んだ

彼の場合には、病気のためピアノを弾くことができなくなり、おそらく絶望も味わったのではないかと想像される

しかし、この9年という時間にいろいろなことを考えた、というようなことを言っていた

その感覚が分かるのである

忙しく仕事をしていると、このような時間を持つことができない

たとえ仕事の合間に静かな時間を取って考えると言っても、その深さはすべてから身を引いている時の思考には及ばない

根源的な思考には至らないのである

昨夜は期せずしてこのことを確認することになった






2023年6月23日金曜日

新しい日常が始まる?




今日の午前中のセッションはこれまでにない集中力の中で行われ、驚いた

その日がどのようになるのかはやってみなければ分からないものだ

セッションが終わった後、久し振りに開放感を味わった


そこで浮かんできたアイディアがある

2007年にフランスで全的生活を始めてから10年ほどの間、毎日ノートを持ち歩き、時々の心象風景をメモしていた

止めようとしても止めることができなかったのである

その衝動は6年くらい持続したが、それから徐々に薄れていき、このところはまったく遠ざかっていた


今日のアイディアは、この作業を復活してはどうかというものであった

今回は手当たり次第に書くのではなく、テーマに沿って記していくという方針で進めるというもの

早速カフェに行き、試してみた

もちろん、16年前のような新鮮な気持ちにはなり得ないのだが、注意力が増してくるように感じた


また、これまで始めるもののいつも中断に追い込まれていたパリメモの読み返し作業を復活させてはどうかというアイディアも浮かんできた

これまでは最初から通して読もうとして途中で嫌になったのだろう

今回は扱うテーマに関連するところだけを拾い読みすることにすれば、嫌にはならないのではないか

初日はいつも楽観的である

長続きするのが少なくなっている中、このアイディアはどのような展開を見せるのだろうか

興味が湧いている







2023年6月22日木曜日

単調さをいかに飼いならすか
































日課に当たる代わり映えのしない毎日が続いている

今日は比較的捗った方だろうか

この単調さを飼いならすことが大切である

ここ数年はものを書き、校正することに明け暮れていたので、慣れてきたのではないだろうか

問題は、時々襲う睡魔である

生理には逆らわない方がよいというのが、最近の方針になって来た

眠りから覚めた後はなぜかスッキリしているので、この方針は正解なのだろう


現在の地点からこれまでを振り返ると、随分とフワフワした生活をしていたように見える







2023年6月20日火曜日

日課の合間にジョージ・スタイナーのハイデガー















徐々に調子が戻りつつある中、本日も日課に当たっていた

プロジェのような感じになるので日課という言葉は嫌なのだが、期日を設けず満足のいくまでやるものだとすれば、抵抗感は薄れる

やることに変わりはないのだが、、

予想では、夏の終わりごろまでは続くことになるだろう


ところで、どこで見たのか忘れたが、ハイデガーの解説としてジョージ・スタイナーによる入門書がよいとあった

注文していたのが届いたので、まずパラパラとやる

全く抵抗がない

これを日課の合間にやることにした






2023年6月19日月曜日

「ここ」に対する集中力の欠如だった?















今日は朝からスタートすることができた

元に戻りつつあるということだろうか

今朝、先週の状態はこういうことも関係しているのではないかという考えが浮かんだ

これまではあり得ないと思っていたパリが、今回現実のものとなった

それが「ここ」に向かう集中力を削いでいたのではないか

すでに触れたように、渡仏前までは外国語を話すことも億劫になるほど日本にどっぷり浸っていた

パリやニューヨークを経験することによりその状態から抜け出し、広いところに出たようである

つまり、先週の状態は単なる時差ボケではなく、「ここ」に対する精神的な盛り上がりの欠如も加わっていたのではないか

そんな見立てである

ただ、パリの記憶も次第に折り畳まれるようになってきたので、これからは元の状態に戻るのではないかと予想している


ということで、本日はこのところの日課に当たっていた

終わってみればまずまずで、久し振りにスッキリした






2023年6月18日日曜日

いまだ慣らし運転中

























朝日を受けている緑が美しい

徐々にこの身と心が「ここ」に戻ってきたように感じる

前回このような状況になったのは3年前になるが、その時も元に戻るまで1週間ほどかかったような気がしてきた

向こうに行く場合にはすぐに現地時間に入っていけるのだが、逆はうまく行かない

ということで、この週末は無理せず、ゆっくり慣らし運転をすることにした










2023年6月16日金曜日

続く時差ボケ





いまだに時差ボケの症状が続いて困っている

仕方なくそのまま起きて、自然や何度も再放送されているフランスのお城巡り、ヨーロッパのトラムなどの映像を眺めたり、ウトウトしたりしている

フランスではこのように外に開くことがない

それが何か特別なものを生み出していたのかもしれない

今週はこの状態を受け入れるしかなさそうだ


ということで、前に進むのではなく、これまでのところをゆっくり見直すことにした








2023年6月15日木曜日

緩やかな坂を上る単調さに慣れる

































どうもまだ、体はパリ時間のままのようである

時差ボケの眠りが続いている

これが不思議な効果を呼んでいる

異常に静かな精神状態になり、流れの中にいる時には向かわないところに意識が向かっている


昨日は2つ用事があり、外出

いずれも丁寧に対応していただき、無事に終えることができた

ただ、またのランデブーが必要になりそうだ


今日から日課を徐に再開

振り返ってみれば、このように緩やかな坂を只管上るような作業が続いている

これは黙々と進める以外にはないのだが、もう慣れてきたというべきだろうか

どこか修行僧の精神状態にも似てきているのではないか、などと想像している

アインシュタインは、こんなことを言っている

I lived in solitude in the country and noticed how the monotony of a quiet life stimulates the creative mind.

「わたしは田舎で孤独の中に暮らし、静かな生活の単調さがいかに創造力を刺戟するのかということに気づかされたのでした」

 








2023年6月13日火曜日

時差ボケの日は
























時差ボケが出てきたのか、本日はいつもより遅いスタートとなった

そういう日は、普段と違うことがしたくなる

手が伸びたのは、今は忘れ去られた人間たちの思考の跡であった

そこに意味がないわけではないだろう

当時は流れの真っ只中にいると思って、それぞれがやっていたはずなのだから

なぜそのようなことを考えたのか、それをどのように考えようとしていたのか

それは出来上がった知の体系だけを学ぶ時には見えてこないことであり、思い浮かばない問いである

そういうことにも興味を惹かれるようになっている

この視点は、今回の『免疫から哲学としての科学へ』にも意識して入れるようにした



暇任せのついでに、この1週間のブログへのアクセス元を調べてみた

60%は携帯からのアクセスで、国別でみると60%はシンガポールからとなっている

全期間で見ると、Windows, Chromeが50%くらいで、日本からのアクセスが60%くらいなので、最近の傾向は驚きである

これが安定的に見られるのか、一時的な現象なのか、要経過観察というところだ











2023年6月12日月曜日

パリと人生と祝祭


























今回のパリ行きは近くの空港から行って帰ってきたためか、遠くに旅行したという感覚がない

そのためか、少し前までパリにいたことが信じられない

そこは隣町なのだが、異次元に存在するという感じだろうか

あるいは、同じ平面を少し移動しただけなのだが、そこは別世界という感じとも言える

それから、パリを思い出すと「人生」という言葉とヘミングウェイではないが「祝祭」という言葉が浮かんできた

どこか、人生を祝っているという感じがするのだ

人々も音楽を奏でるように自由に動いている

それを味わうだけでも価値がある







2023年6月11日日曜日

あゆみを再開する



























昨日の記事に、庭の水仙も咲いていると書いたが、ハナショウブとの声も聞こえてきた

いずれにせよ、昨日よりもさらに賑やかになっている

わたしも肖って徐に歩みを再開することにした

今日はパリの日課のつづきに当たった

それとこれからに向けての大枠を書き出してみた

少なくとも当面の姿は明確に見えてきたようである

これはパリ効果かもしれない

これからどのように展開するのか、興味をもって見守りたい








2023年6月10日土曜日

ひと月振りに日本に戻る


























昨日の朝、大家さんの母親に鍵を返し、少しだけ言葉を交わす

こちらがパリには何かがあると感じていると言うと、昔に比べるとパリの魅力は薄まっているとの観察が返って来た

そこからCDGに向かうも、混んでいて立ちっぱなしであった

CDGではパスポートコントロールを担当している人が少ないためか、長蛇の列

瞑想で鍛えた力が消えるかと思われたその時、何とか通過できた

もう少し真面目に仕事をしてほしいものだが、それを注文するのは無理なのかもしれない

それも含めてフランス文化なのかもしれないからだ

わたしはそう受け止めるようになっているが、フランス人はどのように考えているのだろうか


ひと月振りの庭は緑を増し、水仙はいくつか花開いている

今日はゆっくり休んで、明日からいろいろと再開したい









2023年6月8日木曜日

パリ28日目、最終日の感慨


















 Kandinsky,  Mouvement I (1935)



明日、パリを発つことになった

意識の上では永い滞在となった

日本を出る前に考えていたことと併せて振り返ってみたい


まず、日課として考えていたことは、当初の予想を遥かに上回る進捗を見せてくれた

信じられないことである

なぜそうなったのかは分からないが、今後のための参考になった

それから最も重要だと考えていたのが、これからに向けての大きな絵を描くことだが、その切っ掛けのようなものを掴むことができた

この過程は自由で広い内的空間が求められるので、こちらの環境が何らかのよい影響を与えたのだと思っている

現状はあくまでもその端緒を掴んだに過ぎないので、これからそれに繋がるようなものを紡いていくことになるだろう


その他、いくつかの問題が発生したが、1つは解決し、もう1つは今後の展開を待つという状態である

以前にも触れたが、これらの問題がパリにいる時に発生したのは幸いであった

あとは問題が解決に向けて動き出すことを願うばかりである

物理的にはひと月程度の滞在であったが、実に内容の濃い時間となった

またの機会もありそうな予感がしている


今日も朝から日課から始めるべくカフェに向かったが、何ということか

いつもの場所は工事中で立ち入り禁止

それを知ったのは物が出てきた後

仕方なくコーヒーとともにアパルトマンに戻った

日常にはこういう想定しない小さなことが織り込まれている

そのシンコペーションを味わうことができるようになって久しい

ということで、今日はアパルトマンに落ち着いてみることにした







2023年6月7日水曜日

パリ27日目、どこの場所にいるのか















本日も晴れ上がってくれた

残り1日となったので、午前中はゆっくりして部屋の整理を始めることにした

ひと月ほどだったが、時間が消えているので永遠の中での滞在となった


昨日は外界への興味が薄れていると書いた

それと関連するのかもしれないが、パリの町を歩いているはずなのだが、今自分はどこにいるのか分からないと感じる時がある

どこの国のどの町なのかが分からなくなるのである

この感覚は何ものにも代えがたいものになっている

あるいは、アパルトマンの中である動作をする

その時、それが日本の家の中の同じ場所で同じ動作をしているように感じることがある

これは最近のことであるが、2つの場所が重なり、その両方にいるような感じである

不思議であるが、面白い






2023年6月6日火曜日

パリ26日目、外界への興味が薄れている?





本日も抜けるような空である

ときどき白いものが顔を出すことはあったのだが、

空気も乾いているので気持ちがよい


午後からいつものカフェに出かけて日課に当たることとした

この時期のお昼時に歩いていると、夏の暑さと気だるさを感じる

朝の引き締まった感じとは大きく異なる


カフェは午後からの方が人が溢れる心配がないので、精神的には良さそうだ

「コツが分かった時にはもう終わっている」といういつものパターンである

残り僅かな日々と将来の参考にしたい


今回の滞在では、外のものに対する好奇心(観光的な興味)は湧いてこなかった

リブレリーにも積極的に行ってみようという気にはならなかった

実はアムステルダムで開催されていたフェルメール展にも足を延ばそうかと思っていたのだが、最終的にはごく自然に断念した

今抱えているプロジェのようなものに縛れているのかもしれない

あるいは、このようなことは10年超のフランス滞在でやり尽くしたと感じているのだろうか

いずれにせよ、この状態はしばらく続くものと思われる



今日の写真はパリ到着の翌日に散策した際、再会したグーテンベルクさんの姿である

すでに遥か昔に感じられる当時は連日の曇天あるいは雨天だった








2023年6月5日月曜日

パリ25日目、新しいプロジェの可能性を探る















本日も快晴である

素晴らしい滞在になっている

近くのカフェで早朝の澄んだ空気を味わう

朝のカフェは何とも言えず、よい

その後、粛々と日課に当たったが、まずまずであった


このところ、毎日1時間ほど歩いているのではないだろうか

今日も午後から街まで歩くことにした

カフェに落ち着き、新しい問題について考えを広げてみたが、まだ纏まるのかどうか全く見えてこない

そもそもそのような考えに至った根拠が甘いのではないか

そんな考えが浮かんできて、今日のところは終わりにした


話は変わるが。以前から何となく変だなとは気づいていたのだが、はっきりとは認識していなかったことがある

それはティッシュの箱の取り出し口にビニールではなく、紙が使われていることである

今日、ひと月経ってやっとそのことが見えてきた

そう言えば、日本ではそのビニールを別にしてゴミに出していた

こういう認識の欠落が意外と多くなっている

重要なこと以外には意識を向けなくなっているためだと思いたいのだが、







2023年6月4日日曜日

パリ24日目、日々新た



















これがこの時期のパリだっただろうか

本日も見事な快晴である

日課にしていたものは切れの良い昨日で一段落とし、その先は日本で続けることとした

リズムが出てきたので、後はスムーズに流れると思ったからである

そのため、今日は久しぶりのオフという感じである

丁度最初にフランスに来た当初のようにこの身と心を解放した状態にして、考えを巡らすことにした


実はこちらに来る前、やることをリストアップしていた

しかし、トラブル発生や日課などもあり、いくつかの問題について考えを纏めることを諦めていた

今日、自分の中に完全なオープンスペースができたので、その中の一つに当たってみようという気になってきた

具体的には、考えを纏めることができるのかどうかの検討である

パリの残りの時間はそのために使ってもよいかもしれない

そういうことをするには最適な場所にいるのだから、この機会を活用しない手はないだろう


これは目覚める前までは想定もしていなかった展開である

本当に日々新たである





2023年6月3日土曜日

パリ23日目、これまでを振り返る



















いやはや、と言うべきか

本日も快晴である

午前中からいつものカフェでスタートすることにした

日課は順調に進んでいる

お昼時で混みあってきたのでアパルトマンに戻り、さらに進める

夕方には事前の予想は遥かに上回る進捗を見せてくれた

その勢いで街に出て、カフェに落ち着く

いろいろな思いが巡る


日本を出る前にぼんやり想像していたパリ滞在とは全く別物になっている

もっとも、そうでなければ何事もやる価値はないのだが、

いろいろなハプニングもあったが、それ以上に時の流れが悠々としていることに改めて気づき、驚いている

その中で、あるいは時の流れが消えた中で生活するという経験が、精神を浄める上で重要であることも確認している

ということで、日課としたこともそうだが、これからに向けての大きな絵の断片を捉えることができたのは大きかった

まだ1週間ほどあるので、どんな展開になるのか最後まで目を凝らしておきたいものである







2023年6月2日金曜日

パリ22日目、久し振りに形而上学の論文を読む


































本日のパリも申し分のない快晴である

かなり長く続いているのではないだろうか

こちらはそれを享受するだけである


さて、今日は外に出て日課から始めようとしたが、なかなかその中に入っていけない

昨日、瞑想的な時間から始めたことと関係しているのだろうか

今日もその時間を欲していたようである

一旦アパルトマンに戻り、久し振りに関係のない論文を読んでみることにした

非常によく入って来た

それは今回の免疫論で行ったことの先にあるような形而上学が論じられていたからだろうか

これからの道筋を考える必要がありそうだ

進むべき方向性がいろいろ見えてきたからである


これで日課に進むことができるだろうか

明日になればわかるだろう









2023年6月1日木曜日

パリ21日目、完璧な快晴の下、路上カフェを愉しむ















6月に入ったが、今日も雲一つない快晴

何とも言いようがない

昨夜、仲介業者から連絡が入り、次の入居予定者が部屋を見学したいとのこと

午前中に二人組のご婦人が現れ、良い会話ができた

このことは今回の滞在が残り少なくなっていることを意味しているが、そんな感じは全くしない

これからも永遠を味わうことになると思っている


お昼から街に出た

夏の暑さを感じるようになっている

こちらに来て初めてではないかと思われる瞑想的な(仕事らしきことを一切しない)時間をカフェで過ごす

やはりこの時間がないとダメである

路上のテーブルに着くというのも今回初めてではないか

こうしてみると、これまで意外に忠実に事に当たっていたようである