2023年11月30日木曜日

パスカルの生誕400年に『パンセ』を読む

































今年はパスカルの生誕400年だったようだ

わたしにとって哲学者パスカルは、近くに感じることのできる人に入るだろう

彼の言葉が比較的よく入ってくるからだ

久し振りに『パンセ』(前田陽一・由木康訳)を読んでみることにした


私は長いあいだ、抽象的な諸学問の研究に従事してきた。そして、それらについて、通じ合うことが少ないために、私はこの研究に嫌気がさした。私が人間の研究を始めた時には、これらの抽象的な学問が人間には適していないこと、またそれに深入りした私のほうが、それを知らない他の人たちよりも、よけいに自分の境遇から迷いだしていることを悟った。私は、他の人たちが抽象的な諸学問を少ししか知らないことを許した。しかし、私は、人間の研究についてなら、すくなくともたくさんの仲間は見いだせるだろう、またこれこそ人間に適した真の研究なのだと思った。私はまちがっていた。人間を研究する人は、幾何学を研究する人よりももっと少ないのだった。人間を研究することを知らないからこそ、人々は他のことを求めているのである。だが、それもまた、人間が知るべき学問ではなかったのではなかろうか。そして、人間にとっては、自分を知らないでいるほうが、幸福になるためにはいいというのだろうか。

 

--------------------------- 


われわれは精神であるのと同程度に自動機械である。そしてそこから、説得が行われるための道具は、たんに論証だけではないということが起こるのである。証明されているものは、なんと少ないことだろう。証拠は精神しか納得させない。習慣がわれわれの最も有力で最も信じられている証拠となる。習慣は自動機械を傾けさせ、自動機械は精神を知らず知らずのうちに引きずっていく。明日はくるだろう、またわれわれは死ぬだろうということを、いったいだれが証明したであろう。それなのに、それ以上信じられていることがあるだろうか。したがって、習慣がわれわれにそのことを納得させたのである。




 


2023年11月29日水曜日

カフェ/フォーラムの名称変更について
































今日はお知らせになります


これまで、カフェ/フォーラムの名称に中点を入れたものがありました

例えば、「サイファイ・カフェSHE」という具合に

カフェの歴史も10年を超えましたので、中点がなくても通じるようになってきた感があります

ということで、これからは中点を省略することにいたしました

世の中はそのような流れのように見えますし、個人的にもスッキリするように思います

各サイトもそのように更新しました


今後ともよろしくお願いいたします








2023年11月26日日曜日

来春のカフェ/フォーラムのテーマを考える















今年のカフェ/フォーラムの活動を終えたせいか、これまでになく気分が落ち着いている

どこか年の瀬をすぐにでも迎えそうな感じである

その気分のまま、来春のカフェ/フォーラムに思いを馳せていた

これまでの会のテーマを参照にして考えを巡らせたものもある

継続性や過去との繋がりを重視し、考えを「深める」ことができるようにテーマをアレンジしたいものである

これからさらに検討を重ねる予定である


ところで、場所を変えた後には、これまで決まっているように見えた枠組みに微妙なズレが生じることがある

そういう時には新しい景色が見えるようになる

若干ではあるが、そのような変化が起こっているように感じている




Sergey Akhunov is an award-winning Russian composer. 

A graduate of the Kiev State Conservatory, Sergey started as an oboe player before moving on to other genres, including electronic music and rock 'n roll. He made a decisive break from this style of music in 2005 to exclusively concentrate on orchestral and chamber music.








2023年11月24日金曜日

饗宴としてのカフェ/フォーラム















今回の生き方としての哲学カフェPAWLでは、プラトンの重要な思想が書かれている『饗宴』を読んだ

その準備中に、半世紀ほど前にBBCが制作した『饗宴』の現代版ドラマに出くわした

そのタイトルが "The Drinking Party" となっていて、古代の Symposium が一気に現代に引きずり出されたように感じた

確かに、Symposiumとは「共に飲む」ことなので意味は同じなのだろうが、なぜかイメージが狂ったのである

いずれにせよ、社会で生活している時に嵌められている箍(たが)のようなものを緩めて語り合うというシンポジウムには大きな意味がありそうだ

心身に良い影響があるのではないだろうか

真剣に聞き、話していると、発見がある

そしてそのような発見は、生きる力を我々に与えてくれる

カフェ/フォーラムが発見に満ちた場となることができれば、そこは魂に命を注ぐところになる可能性がある

今年のカフェ/フォーラムを終え、浮かんできた感慨である








2023年11月22日水曜日

サイファイ研究所ISHE設立10周年にあたって

























今年でサイファイ研究所ISHEが10周年を迎えました

この機会に、現在の考えを以下のようにまとめてみました


----------------------------------------------------------------------


サイファイ研究所ISHE設立10周年にあたって


最初に、これまで当研究所の活動にご理解とご協力をいただきましたことに謝意を表したいと思います

誠にありがとうございました

その力に支えられることがなければ、ここまで活動を続けることはできませんでした

その意味で、この活動もまた、奇跡のようなものだったと考えております


サイファイ研究所ISHEは、科学と哲学の研究と普及、自然と人間存在の理解、そのことを通しての自らの変容をミッションとする場として2013年に設立されました

その源となる、哲学と歴史から科学を考える試みであるサイファイ・カフェSHEは、2011年11月に産声を上げました

その時から数えると、12年が経過したことになります

その後、サイファイ・カフェSHEは札幌でも始まり、さらに、生き方としての哲学カフェPAWL(Philosophy As a Way of Life)、フランス語を読んで哲学するカフェ(ベルクソン・カフェ)、科学者による科学者のための議論の場としてのサイファイ・フォーラムFPSS(Forum of Philosophy of Science for Scientists)が加わり、現在に至っています


この10年あまりの間に、多くの方の参加を得ていろいろなテーマについて議論してきました

これからその範囲をどんどん広げるというやり方もあると思いますが、我々の思考がいろいろなテーマの上を飛んでいくことになり、深まりを欠くようになるのではないかとも危惧しております

哲学は知識ではないと言われます

博識ということは決して誉め言葉にはならないのです

ということで、対象を大きく動かすことをせず、これまでに扱ってきた問題の中にあるテーマについて時間をかけて深掘りする(=ゆっくり、じっくり考える)という方向性もあるのではないかと考えるようになりました

今後はこのような方向性も取り入れながら歩むことにしたいと思います

これからもサイファイ研究所ISHEの活動にご理解とご協力のほどよろしくお願いいたします











2023年11月20日月曜日

来年のカフェ/フォーラムを考え、旧研究室メンバーと語り合う

























今日は来年のカフェ/フォーラムをどうするのかを考えていた

サイファイ研ISHEを始めて10年の年月が流れたことになる

この機会に少し振り返ってみたということである

一つには、これまでは次々と新しいテーマを選び議論してきたが、それを見直してはどうかという考えが浮かんだ

対象を大きく変えるのではなく、定まった対象の中にある興味深いテーマを深く掘り下げるという方向性である

会を進める方にとっては、その方が精神的に落ち着くような気がしてきたのである

ということで、次回のカフェ/フォーラムをこの視点から見直してみることにした



今夜は旧研究室メンバーとの会食があった

今年の夏にもこのような機会があったが、今日はさらに2名が加わり賑やかな会となった

こちらから見るとまだお若いと思うのだが、同じような感慨を抱くようになっている印象を持った

人生の時期とすれば、いい味の出るところに入ってきているのかもしれない

中には哲学に興味を持っている人もいて、話は盛り上がった

走るという行為は否応なしに自己との対話を促すところがあるようだ

都合が許せば、このような機会をまた持ちたいものである











2023年11月19日日曜日

秋のカフェ/フォーラム・東京シリーズを振り返って















昨日で最後のカフェSHEのまとめを書き終え、スッキリした

ここで秋のカフェ/フォーラムを振り返っておきたい

今回も、沼の底で暮らしている日常の中で想像していた姿とは全く違ったカフェ/フォーラムが現れてくれた

それぞれのテーマに興味を持つ方々の参加を得て、それぞれの会は全く異なる雰囲気を醸し出す

一人で読んだり考えたりしている時とは違うものがそこに漂うのである

それをしっかり感じ取り、非常に難しいのだが、できるだけ正確にまとめるという作業が主宰者には待っている

それが一通り終わって初めて、会が終わりを迎えるという感覚だろうか

特に今回、この点を明確に意識し始めたようである


このような会の特徴は、対話があるということになるだろう

プラトンを研究したハンス・ゲオルク・ガダマーは、理解することは対話することだとまで言っている

その上で完全な理解には達し得ないとしている

またプラトンは、対話において相手を真に理解しようとしたならば、普通の意識状態にいては駄目だというようなことも言っているようだ

プラトンの言うイデア界に至るような研ぎ澄まされ高められた意識状態が求められるということなのだろうか

もしそうであれば、対話というものの意味を真剣に考え直す必要があるかもしれない

そうすることによって、カフェ/フォーラムの質や深さに変化が出てくることが期待されるからだ

もちろん、意見が異なる者同士の対話がどんどん難しくなる現代においても考えを深めなければならない問題であることは論を俟たないのだが、

これからも考えていきたいテーマが増えたことになる


今、5年ほど前に書いた対話に関するエッセイを読み直しているところである

ハンス・ゲオルク・ガダマー、あるいは対話すること、理解すること(医学のあゆみ 265: 911-915, 2018)







2023年11月18日土曜日

秋の散策を愉しむ
































昨日で秋のカフェ/フォーラム・シリーズが終わったこともあり、今日は彷徨ってみたい気分

メガネの調整をしてもらった後、今日の写真のところから何も考えずに、原子になって歩き回った

久し振りのことで、何とも言えない精神状態の中にいた

ニューヨーク時代のように、体ごと街にぶつかっていくという感じはなくなっているが、快適であった

今は、地上を歩いているわたしを上の方から冷静に見下ろしているという感じだろうか

偶には必要になる心身の運動と言えるだろう

位置を確認すると浅草寺近くまで来ていたので、ついでに寄ることにした

大変な人出で、外国語が優勢だった

早々に引き上げ、カフェに落ち着いたところで、本日の記事をアップということになった












2023年11月17日金曜日

第17回サイファイ・カフェ SHEで、ある免疫論について語り合う























本日は、今年3月刊行の拙著『免疫から哲学としての科学へ』を題材とした合評会を開いた

免疫学を専門とする方の他、多様な分野からの参加があり、充実した、敢えて言えば、贅沢で豊穣なる会話が展開した

今日のところは、今思い出すコメントを少しだけ拾い上げるにとどめておきたい



最初に、免疫の歴史を書いている前半は、同時代で経験した内容なので非常によく入ってきたとの指摘があった

この部分だけでも若い研究者には読んでもらいたいとのことであった

後半は哲学的議論に移るが、科学者の哲学論という印象が拭えなかったのはやや不満だったようである

それに対して、全般的に内容が難しすぎるという指摘もあった


科学に対する態度については以下のようなコメントがあった

一方の極には還元主義一本やりで進むタイプで、それこそが科学者だという立場があり、もう一方には科学をそこに限定するのではなく、もう少し広い視野から論じるところまでを含めて科学としてもよいのではないかという立場がある

わたしは後者に属しているとの判定であったが、それには異論がないどころか、有難い評価であった

そのことに関連して、学会の中でも後者の立場から議論する場があってもよいのではないかと考えている方がおられた

実際にはそのような場は全くと言っていいほどないのだが、それは上の二極の分類で言えば前者の考えの持主が学会を動かしているからだろう

さらに、科学と神学や哲学との関係を重視するのか、両者を切り離すのかという歴史的判断がその国の科学のスタイルを決めているという指摘もあった

日本は後者の道を選んだように見えるが、これからどのような道を歩むべきなのだろうか


この他にも、科学、哲学、神学を巡る問題や、真理とは何を指しているのか、究極的な真理に辿り着くことはできるのかなど、かなり本質的な議論が続いた

詳細な内容については追って専用サイトに掲載することにしたい

改めて参加された皆様に感謝したい



























これで今秋のカフェ/フォーラム・シリーズが終わったことになる

来年は2月が札幌、東京シリーズは3月の開催を予定している

来春もよろしくお願いしたい









2023年11月15日水曜日

カフェ/フォーラムのまとめを書きながら感じていること
















このところ、暇な時間はカフェ/フォーラムのまとめを書いている

そこで観察していることを簡単に書いてみたい


一つは、これまでのように勢いに任せて書き終えるということをしていないことである

何か更なる発見はないかと、その過程をたっぷりと味わっているようなのである

もう一つは、そこで感じている時間である

極言すれば、時間が消えているのである

それは、このようなまとめに限らず、他のことを「考える」ために自分の中に入っている時も同じである

気がついて数時間経ったのかと思って調べると、まだ1時間などということが日常になっている

その中に入っている時には、無限にも見える空間の中にいるという感覚だろうか

これは幸福感にもつながるものではないかと考えるようになって久しい

何しろ永遠を手に入れているような錯覚に陥るのだから


そのことと関連するような気もするのだが、それが感知できない世界(the intelligible)で過ごす時間のように感じられることである

このところお付き合いが増えている古代ギリシア人の言葉で言えば、プラトンのイデアの世界であり、ヘラクレイトスで言えばロゴスの世界ということになるのかもしれない

同時に「意識を集中する」という行為の意味が、以前より明確になってきたように感じられる

それは至高のところに向かうための重要な方法になるという期待にも繋がるものである







2023年11月14日火曜日

第10回カフェフィロPAWL、無事終える
























本日は、第10回目になる「生き方としての哲学カフェ PAWL」を開いた

タイトルは「プラトンの『饗宴』と神秘主義」とした

具体的には、プラトンの中期対話篇『饗宴』(副題「エロスについて」)を読み、そこから見えてくるものの見方、知の在り方、ひいては人間の生き方に至る問題について議論するのが目的であった

参加予定の方が欠席となり、今日の会は研究対象同様、対話篇での開催となった



まず、前半で『饗宴』の内容を振り返り、後半ではそこにある発言が意味するところを考えるという順序で話題を提供した

前半では、エロスの種類が問題にされ、一種類ではなく、ウラニアとパンデモスに属する2つのものがあると指摘される

ウラニアのエロスとは、理性に恵まれた方を愛し、放埓とは無縁の愛で、パンデモスは低俗で、魂よりは肉体を、出来るだけ考えないものを愛する

そこから次第に、エロスが志向するものが広がってくる

一つのポイントは、アリストパネスのお話ではないだろうか

それによれば、人間の本来の姿は、男、女、それに男女(両性具有)であったが、神々を攻撃しようとしたため、ゼウスによって2つに切断される

エロスとは、本来の姿に戻るために分身を求める「完全性への欲求」に付けられた名前だったのである


この対話篇の肝は、ソクラテスがその昔、ディオティマという女性(プラトンの創作と言われる)から聞いた話を紹介するくだりだろう

そこで、プラトン哲学の中心的テーマが語られていると理解した

それによると、エロスはポロス(豊穣)とぺニア(欠乏)の間に生まれたので、両者の中間にある

困窮もしないが富むこともない、知に関しても叡智と無知の中間にいる者で、まさに愛智者(フィロソフォス)なのである

エロスが目指す究極のものは、イデア(形相)ということになる

そこに至る道として、「洞窟のアレゴリー」や「線分の比喩」、弁証法(ディアレクティケー)などが紹介された

このような方法論を示したことも、後に続く人にとっては助けになっているのではないだろうか

そして究極の形相界に至った時、そこから俯瞰する全存在界の雄大な光景こそ、プラトン哲学が齎すものだと井筒俊彦は言う

ディオティマは、そこに至った人間は不死になるというが、おそらく人間には及ばない境地なのだろう

ただ、その時の精神状態については現代人はあまり考えないのかもしれないが、興味をそそられるところである

精神の集中を続けて行くと、何か見えるものがあるのかもしれないという希望は捨てない方がよいだろう


今回のタイトルに入れた「神秘主義」という言葉だが、何気なく聞いていると、どこか怪しげな雰囲気も漂う

しかしここでは、神との一体化というよりは、絶対的・究極的な真理(プラトンで言えば、善のイデア)に接するという意味に解釈したい

あるいは、絶対的な真理に辿り着かないまでも、それを強く希求する心もそこに入れてもよいかもしれない

もちろん、絶対的などというのは神的なものしかないと考える人もいるのだろうが、、

最後に、プラトン哲学との関連で、わたしが考えてきたこととの対比についてお話した

あまりにも強い関連があるのに驚きながら話を進めていた

充実した対話となったのではないだろうか



会の詳細については、後ほど専用サイトに掲載する予定です

ご参照いただければ幸いです





































2023年11月11日土曜日

第9回サイファイ・フォーラム FPSS、盛会のうちに終わる






















本日は第9回になるサイファイ・フォーラム FPSSが開催された

今回、新しい方が2名加わり、これまでにないほどのディスカッションが行われた

それが休憩時間にまで続くというカオティックな状態になったのには、驚いた

このような会としては、望ましい状態だと言えるのではないだろうか


プログラムは、以下の通りであった

(1)矢倉英隆: シリーズ「科学と哲学」③ ソクラテス以前の哲学者-3

今回はヘラクレイトスとパルミニデスを取り上げた

(2)牟田由喜子: 専門知は市民社会にどのように有用なのか?

ハリー・コリンズ著『専門知を再考する』を分析することにより、専門知をどのように解釈し扱えばよいのかについて、現代の問題も例に出しながら考察されていた 

(3)木村俊範: 日本のテクノロジーには哲学が無かったのか、置き忘れたのか? 一テクノロジストの疑問

発表者がこれまでのキャリアを歩む中で考えて来られたことと、そこにどのように哲学が絡むべきかの問題提起がされていた


進行係の不手際で、最後の発表では十分なディスカッションの時間を取ることができなかったことをお詫びしたい

懇親会において、少しでもその埋め合わせができたことを願うばかりである

なお、会の内容の詳細は、発表者のスライドと併せて、近いうちに専用サイトに掲載する予定である

ご覧いただけき、お気づきの点やコメントをお寄せいただければ幸いである



少々気は早いのですが、次回の開催は2024年3月9日(土)を予定しております

FPSSへのご理解とご協力をよろしくお願いいたします




































2023年11月9日木曜日

第8回ベルクソン・カフェのまとめ、そして病気に対する考え方


























本日は快晴で気持ちが良かった

古い友人の俳人とイタリアンのデジュネ

周りに病気の人が増えているようで、話はそちらの方へ

わたしの病気に対する考え方は、長い瞑想生活の中で次第に固まってきた

第一に、病気は必ずやってくるということ

第二に、殆どの人は病気が原因で亡くなるということ

ということは、病気になるまでが人生であると認識する必要がある

つまり、それまでをどのように生きるのかが問題になる

その先を考えてもあまり意味がない

それまでの生き方のポイントは、できるだけストレスを避けることである

そのためには、微妙な心の動きを常日頃観察しておくことが欠かせない

という単純な考えである



ところで、昨日のベルクソン・カフェの内容を簡単に纏めてみました


お読みいただければ幸いです









2023年11月8日水曜日

第8回ベルクソン・カフェ、充実した議論のうちに終わる






















本日は、午前中から場所を2回替え、直前まで第8回ベルクソン・カフェの準備に追われていた

会が始まるまでには何とか纏まりを付けることができた

ただ、何度見直しても修正点が見つかり、この道には終わりがないことを痛感させられた


今回読んだテクストは、J・F・マッテイというフランスの哲学者のソクラテス以前の哲学者についての解説であった

これまでのような込み入った表現が少ないものを選んだつもりである

この中で「ギリシアの奇跡」と言われることもある、古代ギリシアで生まれた理性とその使い方やそこから生まれたヨーロッパ科学の特徴などが指摘されていた

それから、「アルケー」と呼ばれる万物の原理の探究過程を、ミレトス学派やピタゴラス学派を例に取って解説

この過程で人間の思考に起こった変化は、感覚で捉えることができるものを基に自然を理解するのではなく、感覚や経験を超えた抽象的な概念で世界や宇宙を説明するようになったことである

この理論的眼差しは、理論(テオリー)の元になった「テオリア」(もの・ことに注ぐ視線)に起源がある

それは、舞台で繰り広げられる場面を観るために劇場(テアトロン)まで出かけていき、対象との距離を保ちながら観察することを意味していた

これこそが古代ギリシア思想に特徴的なことであり、この理論的な視線は「プラクシス」(日常における実際的な行動)にも応用された

つまり、「テオリア」は常に「プラクシス」をコントロールしなければならないという考えが出来上がったのである

ただ、このような変化がギリシアだけで起こったとする「ギリシアの奇跡」的考え方が高じると、自国第一主義や人種差別につながりかねないとする批判が出されている

このことに関連して、東西の思考の違いについても議論されたが、それを聞いているかぎり、今回読んだ古代ギリシア人の思考の特徴は日本では見られないとする意見が多かったようである

さらに関連して、現代日本における思考の欠如やそれによる文化の想像以上の衰退なども指摘され、我々は大きな問題を抱えた中に生きていることを痛感する一夜となった

もう少し詳しい内容は、近いうちに専用サイトに纏める予定である




























今日の懇親会場は、これまでに見たこともないような満席状態で、声を張り上げなければ聞こえないほどであった

ここでも日本文化についての話題が中心であった

大きな課題を抱えて帰路についた










2023年11月7日火曜日

カフェ/フォーラムの準備とフランスを肴にディネ




今日は明日から始まるカフェ/フォーラムの準備に追われていた

具体的には、明日のベルクソン・カフェで読むフランス語に当たり、土曜のFPSSで話す古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスとパルミニデスについて調べていた

会の直前まで準備に当たるという方針に変わりはない



夜はフランスでお世話になった方との久し振りのディネがあった

お話を伺いながら、自分一人では行かなかったであろういろいろなところに案内していただいていたことを確認

フランス滞在が豊かになったことに感謝していた

機会があればまたお話を伺いたいものである









2023年11月6日月曜日

恒例の会食を愉しむ
























今日は朝に仕入れた本を読んでから、恒例になった同期生との会食に向かった

夏はコロナの影響で実現しなかったので、今年の3月以来ということになる

開口一番、わたしの生活が常人のものからどんどん離れて行くように見えるというご挨拶があった

ディオゲネス度を増してきたということらしい

自分では全く気付いていないのだが、外からはそう見えるのかもしれない

それに関連して、一日がどんどん長くなるという話をしたが、信じられないとの反応で驚いた

まだお仕事をされているので、そう感じるのかもしれない


最近わたしがカフェ/フォーラムで取り上げているテーマについて紹介

それは古代から始まる科学・哲学の歩みを辿るものである

インターフェースの重要性やハイデガーの話題も出て来て、思考なき現代社会・現代人にまで及んだ

また、話の中に3月に出た拙著についてのコメントもあり、評価できる内容とのことで、労をねぎらっていただいた

いつものように、あっという間の愉快な会食であった

またの機会を待ちたいものである









2023年11月2日木曜日

カフェ/フォーラムの準備中、拙著についてのコメントが届く

























昨日、その昔の気付きを再確認したことで、現世に向けて積極的に進もうという気分が増してきた

これは仕事をしていた時の精神状態に向かう契機になるのだろうか

あるいは、一時的なものなのだろうか

おそらく、その時に抱えているものの性質によって変わってくるものと思われる

今日は、来週から始まるカフェ/フォーラムの準備に追われていた

最後の瞬間まで準備することになるだろう



そんな中、免疫学の大家から拙著『免疫から哲学としての科学へ』の感想が届いた

そこにはこう書かれてあった

どこから読んでも示唆に富む内容が多く、昔お逢いした色々な方も思い出します。私にとって、大変貴重なバイブルのような本です。

これ以上嬉しくも有難い言葉はあるだろうか









2023年11月1日水曜日

月の初めに11月を思い、初期トゥール時代を振り返る

































今年も11月に入った

今月は秋のカフェ/フォーラム4つを開催する予定である

◉ 第8回ベルクソン・カフェ

2023年11月8日(水)18:00~20:30
恵比寿カルフール B会議室

テーマ:J・F・マッテイの『古代思想』(La pensée antique, PUF, 2015) を読む
(参加希望者にはテクストをお送りいたします)
平明なフランス語で書かれた古代ギリシア思想、特にソクラテス以前の哲学者が求めたものについて考える予定です


◉ 第9回サイファイ・フォーラムFPSS

2023年11月11日(土)13:00~17:00
恵比寿カルフール C会議室

プログラム:
① 矢倉英隆 ソクラテス以前の哲学者―3
② 牟田由喜子 H・コリンズ『専門知を再考する』: 専門知は市民社会にどのように有用なのか? 
③ 木村俊範  日本のテクノロジーには哲学が無かったのか、置き忘れたのか? ――  一テクノロジストの疑問



◉ 第10回カフェフィロPAWL

2023年11月14日(火)18:00~20:30
恵比寿カルフール B会議室

テーマ:プラトンの『饗宴』と神秘主義
愛・恋についての対話編『饗宴』を読み、我々の精神の働かせ方、さらに生き方についてのプラトンの考えと神秘主義について語り合う予定です


◉ 第17回サイファイカフェSHE

2023年11月17日(金)18:00~20:30
恵比寿カルフール B会議室

テーマ:『免疫から哲学としての科学へ』を合評する
今年刊行した免疫論について、いろいろな側面から議論していただければ幸いです

これらの会からどのようなものが現れるのか、注意深く観察したい

参加を希望される方は、she.yakura@gmail.com までお知らせいただければ幸いです



今月の予定として、数日前に浮かんできたアイディアの可能性について検討することを加えたい

今月は場所を変える時期があるので、この手のプロジェには向いているかもしれない

いずれにせよ、どんなことになるのか、見守りたい

あるいはより積極的に、どのように持って行くのか、頭を絞りたい




ところで、荷物の陰から昔のノートが出てきた

そこに置いた時には覚えていたのだろうが、今では完全に記憶から消えている

それは、パリの大学院を終えトゥールに移った2016年9月から翌17年9月までの1年間の記録だった

パリ・メモに対して、トゥール・ノート①とでも言うべきものである

読み直してみたが、あの時はこんなことを考えていたのか、というような驚きは殆どなかった

この頃には、現在の考え方の核のようなものが出来上がっていたのだと思われる

ということは、これまでにやり方や考え方は確立されているのだから、あとは前に進むだけということになる



ついでだったので、既定の場所にあった2017年10月から翌18年8月までのトゥール・ノート②も見直してみた

こちらの最初のページには、マルセル・コンシュさんに面会を求める手紙の下書きがあり、当時のことを思い出した

コンシュさんからは、まず彼の著作『形而上学』を読んでからにしてほしい旨の返信があった

結局その本を読むことにはならず、面会は実現しなかった


それから、今回のカフェで取り上げるテーマについての考察も出てきて過去と繋がり、気持ちが充実してくる

また「一つひとつのすべてがミラクルなのだ」という言葉が目に付いた

何かをやった後、それは当たり前のことだと思っている場合がある

しかしよくよく振り返ってみれば、それは奇跡に近いものであることに気付いたということだろう

この言葉は噛みしめる価値がありそうだ

突き詰めれば、生きていること、そのことが奇跡なのだということに通じるからだ

当時、クリルスキーさんの訳書『免疫の科学論』の刊行準備中だったので、それに関連した記述が結構あった