2023年3月31日金曜日

サイファイ・フォーラムFPSSのための新しい場「自然と生命のための科学と哲学」















この春のサイファイ・フォーラムFPSSの後、一つの考えが巡っていた

それは、これまでに発表された方のお考えが文章の形で残されていないことに気付いたからであった

この機会に、希望者だけでも発表内容を論文あるいはエッセイの形に纏め、サイトに掲載してはどうかというところに落ち着いた

提出期限も設けないという緩い同人誌的な場になればよいと考えている

サイト名は「自然と生命のための科学と哲学」(Science and Philosophy for Nature and Life: SPNL)とした

お忙しい皆さんのことである

どれだけの賛同者がいるのかは分からないが、提案のメールは出しておいた

この場に命が吹き込まれるのかどうかは、その反応にかかっている


今日からこのブログタイトルを「自然と生命の新しい哲学を求めて」から「自然と生命を考える」に変更することにした

瞑想の途中、発作的に出てきたアイディアであった

今後ともよろしくお願いいたします






2023年3月30日木曜日

第8回ベルクソン・カフェの予定、決まる






























昨日の学友は入院前だったようだ

持参する荷物はパソコンと拙著だけとのこと、光栄に思う

ゆっくり静養できることを願うばかりである



今日は東京で思い当たったアイディアを形にするための第一歩を記す日となった

まだ2週間程度なので異常な速さで事を進めたことになる

これまででは考えられないことである

もちろん、これがゴールに繋がるかどうかは全く見えていないのだが、



本日、この秋のベルクソン・カフェの予定を以下のように決めた

カフェ/フォーラムの予定を決めるのもいつもに比べると異常に早いので驚いている


日時: 2023年11月8日(水)18:00~20:30

テーマ: ベルクソンの「クロード・ベルナールの哲学」を読む

講師: 矢倉英隆(サイファイ研究所 ISHE)

会場: 恵比寿カルフール B会議室 


原文はカフェのサイトから見ることができます

また、日本語訳も岩波文庫にあります

これらをお読みいただき、議論に参加していただければ幸いです









2023年3月29日水曜日

これもシンクロニシティか




今日は用事があり外に出た

これまで会計のところにあったビニールの膜がなくなっているお店があった

すっきりして春を迎えたという感じであった

本屋さんにも寄ってみたが、いい感じで並べられていた

用事も問題なく終わり、すべてが何の抵抗もなくスムーズに流れていくという印象である


今日は思わぬメールがイギリスから届いた

実は、こちらからも全く別の用件で連絡しようと思っていたところだったのである

こういうことが偶に起こるが、そういう時はいつも何かを感じる

自分の中にあったプロジェが最終的にはうまく収まるのではないかという期待感を呼ぶ

そう考えて暫くの間楽しい気分に浸るのも悪くはないだろう


夕方、学友から『免疫から哲学としての科学へ』を読み始めたが、非常に面白く、読み終えることができそうだとのメールが届いた

読み終えた時にはどのような感想になるのだろうか

その時が来るのを待つことにしたい













2023年3月28日火曜日

秋のサイファイ・カフェSHE、予定決まる































昨日は、秋のカフェ/フォーラムのプランを考えていた

その中で、サイファイ・カフェSHEとSHE札幌の内容が決まった

免疫から哲学としての科学へ』を読み、免疫、科学、哲学について語り合うことにした

具体的には、以下のようになっている

テーマ: 『免疫から哲学としての科学へ』で、免疫、科学、哲学を考える

日 時: 2023年10月21日(土)15:00~17:30 

会 場: 京王プレリアホテル札幌 会議室


テーマ:『免疫から哲学としての科学へ』を合評する

日 時:2023年11月17日(金)18:00~20:30

会 場:恵比寿カルフール B会議室

 

カフェまでには半年あるので、ゆっくりお読みいただき参加していただければ幸いである

よろしくお願いいたします

 






2023年3月26日日曜日

時の流れと沈潜の程度の違い
























今回いろいろな方と話す中で、よく言われる「年をとると時の流れが速くなる」という話が出ていた

わたしの場合はその逆に感じている

一日が揺蕩うように流れるのである

曜日もよく分からなくなる

実は、今日は月曜かと思って行動していたが、テレビを付けるとどこか違う

暫くしてまだ日曜であったことに気付いた

よいことなのかそうではないのかよく分からないが、そのママを受け入れることにしている


久し振りに家に戻ったことになるが、これまでのような短い滞在とは新鮮さが違うように感じている

東京では常に刺激が入る状態で、深い沈潜には至らない

ただそれ故に、普段ではなかなか踏み出せないことにも意外に簡単に飛び越えることができる

この2つの状態を適宜組み合わせることが重要になりそうである

コロナも落ち着きつつあるのでそれが可能になるだろう








2023年3月24日金曜日

東京滞在を振り返る


























今回の東京滞在を振り返っておきたい

月の初めにはカフェ/フォーラムを3つ開き、これからに繋がるヒントをいくつも得ることができた

その後はいろいろな方にお会いし、旧交を温めるとともに貴重なお話を伺うことになった

それから、来る前にいくつかやることを考えてきたが、それについては手を付けることにはならなかった

想像している段階とその場に身を置いた時には心の動きが自ずと異なってくる

当然のことである

それとは逆に、当初想定していなかったことがいくつか動き始めた

いずれも偶然が絡み、その流れに乗っただけのことではあったのだが、

これからどのような展開をするのか見守っていきたい

このようなことが起こるので、場所を変えることは欠かせない


この間、長い間の思索の果実である『免疫から哲学としての科学へ』が刊行された

昨日、書店に並べられているのを確認することができた

是非お読みいただき、ご批判をいただければ幸いである

本書は、昨年の『免疫学者のパリ心景』とともに、これまで抱いていた問いに対する現段階での回答という意味合いを持っている

これを一区切りとして、新たな道を歩むことができるようになった

少しだけ自由の感覚が生まれているのは嬉しい











2023年3月23日木曜日

秋のサイファイ・カフェへの提案をいただく


































昨夜はもう半世紀になろうかというお付き合いになる友人とのディネとなった

丁度、拙著『免疫から哲学としての科学へ』が届いたところだったとのことで持参され、サインを頼まれた

ご自身のお考えも纏めたいようだが、仕事を継続しているとそのための時間を取るのが難しいようであった


早速、本の内容といっても目次を見た後の感想とのことだが、矢継ぎ早にいろいろ出された

免疫や生体防御という言葉をどのように考えるのか

細菌の免疫システムとされたCRISPRなどは本当に免疫システムと言えるのか

さらに、科学者の仕事をどう考えるのか

科学の先に哲学があるとすると、科学者を低く見ることにならないのか

科学が明らかにしたもの以外に言うべきことはないのではないか

この本にあるような内容に文系の人はどのように反応するのだろうか

免疫学者でもこの手の本を読もうという人はあまりいないのではないか

などなど、感想というよりはクリティークの方が多かったようだが、あっという間に時間が過ぎた


その中で、サイファイ・カフェでこの本を対象に語り合う会を企画してはどうかという提案をいただいた

議論するテーマには事欠かないだろう

まず、免疫に対する見方がある

それから、科学という営み、科学者の役割、さらに哲学の方向性なども考えられる

実現すれば、これまでのカフェ/フォーラム活動の応用編のような感じになるのではないだろうか

秋までにはまだ半年以上あるので、1つのオプションとして考えても面白いかもしれない

どれだけの方が読むことになるのかは分からないが、前向きに検討することにしたい


最後は科学から離れて、人生の後半をどう生きるのかという問いが出された

こちらも大きな問題で、多くの人が興味を持っている可能性があるので、語り合う機会があってもよいかもしれない

ということで、充実したランデブーとなった









2023年3月21日火曜日

『免疫から哲学としての科学へ』をネタにディネ















昨日はフランスでいろいろなところを案内していただくなど、お世話になった方とのディネがあった

お忙しいところ、お時間を割いていただき感謝である

前作『免疫学者のパリ心景』をお読みいただいたとのこと

パリに渡る前だけではなく、それ以降も都合よく道が開けていることに驚かれているようであった

しかし、あれは真実のお話であることを明言させていただいた

本当に不思議な繋がりに恵まれていたことに、わたし自身が驚いていたのである

今回の『免疫から哲学としての科学へ』のポイントについても簡単に説明させていただいた

それに囚われることなく、何か新しい発見と言えるものがあることを願うばかりである


ところで、アマゾンなどでは昨日が発売予定となっていたが、週末からすでに受け取り読み始めているというような連絡が入っている

専門家の方はこれまでの知識の整理をしたり、自分の考えとの相違を検討されたりしているのかもしれない

専門外の方にはゆっくりお読みいただき、免疫の新しい見方や科学の在り方について考えが広がることになるとすれば幸いである

フィードバックも歓迎しております






2023年3月20日月曜日

「アリストテレスの哲学」と「免疫の形而上学」
































中畑正志著『アリストテレスの哲学』という本を眺める

その中に、興味深い章が見つかった

一つは第3章で、「現代自然科学で十分ではないのか――自然を理解するための知」

もう一つは、第5章の「なぜ形而上学という知が必要なのか――「ある」ことの探究」である

実は、この2つの問いは長くわたしの問題意識の中にあったものである

そして、新刊『免疫から哲学としての科学へ』を貫くテーマでもある

そこで展開した議論は、上の2つの疑問に対するわたしなりの回答でもあった

それがどれだけの説得力を持っているのかは、読者の判断に委ねるしかなさそうである









2023年3月18日土曜日

シェリングの「自然哲学」の特徴とは


























昨年の5月はシェリング(1775-1854)の『学問論』を読んでいた

前ブログにその過程を書いている

今日それを読み返してみたが、なかなかよいところに気づいている

彼の哲学のエッセンスが自分の中で出来つつあるものと重なる

あるいは、その方向性で進みたいと思わせてくれるところがある

ただ、以前のように、そう感じた時の記憶が鮮明に蘇るということはなくなっている

フランスにいる時に経験したこととは大きく違うようだ


シェリングは自然をどのように考えていたのだろうか

彼は自然を3つのステージを持つものとして捉えていたという

第1段階は、「物質の動的な構築」に当たり、そこでは引力と斥力が物体を構成している

どこか、エンペドクレス(c.490 BC-c.430 BC)の「愛(引力)」と「争い(斥力)」を想起させる

1799年にはフランツ・ブレンターノ(1838-1917)に倣い、引力と斥力を結び付けるものとして重力を想定する

というところから、第1段階は「物質」あるいは「重力」のステージとされる

第2段階は、磁気、電気、化学的過程などの物理学の普遍的範疇が関与する

これは「光」のステージと呼ばれた

そして第3段階は、植物、動物、人間のような有機体の中で生きている自然となる

この段階は、感受性、興奮性、再生によって特徴づけられる「生命」のステージである



シェリングは、自然の構造を哲学的に提示することの重要性を主張し続けたという

それをやらないとすれば、哲学の名に値しないとでも考えていたかのようである

こちらの世界もおいおい覗いてみたい








2023年3月16日木曜日

上野でランデブー、日本や人生を語る















今日は俳人の友人とのランデブーがあった

いつもいろいろなところに案内していただいているので、世界が広がる

今回はスペイン料理のデジュネとなった

ワインもおいしく、結構満腹になった

デジュネの後は、上野公園のカフェでゆったりとした時が流れるのを観察

桜はまだまだであった

途中、最近の日本は芯が壊れてきているのではないかというようなお話が出ていたように記憶している

思考しなく/できなくなった状態が長く続いているが、それは人間にとって基本となる教養・学問が蔑ろにされてきた結果ではないのか

自己との会話が行われず、外の世界で展開されることに条件反射して日々を終え、そして人生を終えていることを想像させる

その昔、マルティン・ブーバー(1878-1965)の『我と汝』を読まれたようだが、その世界が通じる人が周りにいなくなっているという

ヨーロッパの平均的な人が話す内容とあまりにも違うところで頭が使われているという印象を持たれることがあり、その原因は教育にありとのお考えのようだ

その観察はわたしも共有しているものである


ところで、拙著『免疫学者のパリ心景』を読了されたとのこと、有難い

そのためだと思うが、話が通じやすくなったと感じることもあった

わたしの話の引き出しを開けて見せたとも言えるので、それは当然のことだろう

これからもお元気でお過ごしいただければ幸いである



◉ 拙著新刊が今日配本になったようです

 是非手に取ってお読みいただければ幸いです








2023年3月14日火曜日

執行草舟著『超葉隠論』を手に取る















散策と瞑想の時間が戻って来た

午前中はこれまでのものを読み返したりしていた

午後から散策へ

入った書店で、初めてになる執行草舟氏の『超葉隠論』を手に取る

葉隠について知りたかったわけではない

背表紙にあった「人間として生きるか、現世の家畜となるのか」という言葉が目に入ったからだろう

これは言ってみれば、哲学が問いかける基本に通じる

ざっと見たところ、熱を持ったやや荒々しい言葉で存在の本質に迫ろうとしている

第1章『永久孤独論』を読んだが、第一印象に変わりはなかった

語られていることは、わたしの中に溜まってきたものにも通じるところがあるので驚きは少ないものになるのではないだろうか

もう少し読んでみたい


さて、今朝発見したことだが、近刊の拙著『免疫から哲学としての科学へ』の試し読みがアマゾンでできるようになっている

それを読むと、どのような本なのかについての感触を掴むことができるのではないかと思われる

ご一読いただければ幸いです







2023年3月13日月曜日

恒例のデジュネを愉しむ

























本日は東京滞在のお決まりになった深津、池田両氏とのデジュネとなった

空を見てはどぶに落ちる哲学者の部類に入れられるようになって久しい

込み入った現実世界の厳しさから離れ、一日中暇の中にいるので致し方ないだろう

こんな生活をしている同期生はいないとのことであった


今回も学生時代の話が出ていた

夏休み明けに何をしていたのか質問すると、わたしは毎回ロシアの長編を読んでいたと答えていたという

全く信じられないが、間違いないという

軽く吹いていた可能性も否定はできないが、そうは見えなかったようだ

昔は2年の教養課程があったのでのんびりできたが、最近は大学に入ってすぐに専門課程が始まるようになっている

そこで失われるものは計り知れないと思うのだが、そうは思わない人が増えているということなのか


近刊の拙著『免疫から哲学としての科学へ』も少しだけ宣伝させていただいた

お読みいただき、いろいろな方に薦めていただければ幸いである

近いうちにお話を伺う機会が再び訪れることを期待している









2023年3月12日日曜日

佐伯祐三展を覗く


































今回のカフェ/フォーラムで耳にした本を求めて出かける

一つだけ手に入れることができた

落ち着いて読もうとしたが、空いているところがない

歩き回っている時に、写真の佐伯祐三展のポスターが目に入り、覗いてみることにした

人気がある画家のようで、結構込み合っている

じっくり観るところまではいかなかった


このところのカフェ/フォーラムでは、古代ギリシアの「ソクラテス以前の哲学者」と呼ばれる人たちの人生と思想を振り返っている

これまで彼らの考えをじっくり知ろうとしたことはなかった

そのためか、新しい世界が広がりつつあるという感覚が生まれている

その中に入り込むと、「アペイロン」ではないが捉えることが難しいほどの宏大さを持っているのだろうか

それはそれで面白いのではないか

そんな気分でいる日曜の午後である







2023年3月11日土曜日

22年後の花粉症はどこに導くのか






昨日はパリでお世話になった方とのランデブーがあった

かなり前に帰国されていたので、自分の中では10年振りくらいの感覚であった

その間のいろいろな出来事を伺いながらイタリアンのデジュネを楽しんだ

食事後、2年ほど前に研究室を主宰されるようになったとのことで、案内していただいた

ラボでは自作の茶碗でもてなされ、意外な一面を垣間見た思い

セットアップも順調に進んでいるとお見受けした

今後のご活躍を願うばかりである

機会があれば、またお話を伺いたいものである


今回、今が花粉症の季節であることを完全に失念

気付いた時には日程がすべて決まっていた

現実がかなり遠くに感じられるようになっているということだろう

そのため苦しい日々が続いている

思い返せば、2001年の花粉症はフランスへの道を開いてくれたのであった

このあたりは『免疫学者のパリ心景』第1章「なぜフランスで哲学だったのか」を参照していただければ幸いである

22年後の花粉症体験はどこか新しいところに導いてくれるのだろうか

期待して見守りたい








2023年3月10日金曜日

『免疫から哲学としての科学へ』の見本、届く





近刊の拙著『免疫から哲学としての科学へ』の見本が届いた

想像していたより、少しだけどっしりした感じがする

全てを終えてからまだ時間が経っていないので、目を通す気にはならない

この本では、免疫についての多様な見方が提示されている

免疫現象に興味をお持ちの方には手に取っていただきたい本である

と同時に、科学と哲学との関係をお考えの皆様にとっても興味深いのではないかと想像している

刊行は今月中旬から下旬にかけてのようである

お読みいただき、ご批判をいただければ幸いである








2023年3月8日水曜日

第16回サイファイカフェSHE、実り多き議論の内に終わる




















本日は第16回のサイファイカフェSHEを開催した

この会の第1回目は2011年11月に開かれたので、11年を超えたことになる

そのためかどうかは分からないが、5年振り、10年振りの参加という方がおられたのは嬉しいことであった


今回のテーマは、初めての科学者(哲学者)と呼ばれることもあるアナクシマンドロス(c.610 BC-546 BC)の哲学と科学を取り上げた

詳細は近いうちに専用サイトに掲載する予定なので、そちらを参照していただければ幸いである

今回、カフェにおいても、懇親会においても、これからについての提案があったのは大いに参考になった

次回以降のプログラムを企画する際に考慮していくことにしたい


今年はサイファイ研究所ISHEとしての活動を始めてから10年目に当たる

今日で春のセッションがすべて終わったことになる

今年の初めには年3回の開催も考えていたが、今回やってみてやはり例年通り年2回の予定で行いたい

次回の予定は決まっていないが、今秋(10~11月)を思い描いている

日程が決まり次第、この場とそれぞれのサイトに公開する予定である

今後ともご理解とご協力をよろしくお願いいたします



































2023年3月6日月曜日

プラネタリウム映像を観る


































今日のお昼過ぎ、先日のFPSSのまとめを終え、久し振りの銀ブラを決め込む

映画でも見ようとするも時間が合わず、丁度始まるというプラネタリウムを使った映像を観る

途中、体の位置が分からなくなるような感覚が襲った

語りの内容と音楽が若い人向けなのか、今一つであった

それぞれを工夫すれば、大人も十分に楽しめる媒体になるのではないだろうか

今回最後の会が水曜に予定されている

その準備に取り掛かることにしたい










2023年3月4日土曜日

第8回サイファイフォーラムFPSS、盛会のうちに終わる





今日は午後から第8回のサイファイ・フォーラムFPSSを開催

多くの方にお集まりいただき、活発なディスカッションが展開した

週末のお忙しいところ参加された皆様には、改めて感謝したい


今回は、わたしの「科学と哲学」のシリーズ第2回から始まった

最初にタレス(c.624 BC-c.546 BC)がそれまで考えられなかった疑問を出した背景について振り返った

その後、ヒポクラテス(c.460 BC-c.370 BC)の四体液説などに影響を与えた四元素説を提出したエンペドクレス(c.490 BC-c.430 BC)の人生と哲学について紹介した

2番目の話題は、久永真市氏による「遺伝子と個性」で、古くからある "Nature or Nurture" (遺伝か環境か;氏か育ちか)という問いにどう答えるのかを探るお話であった

どちらかを選ぶことは難しそうで、両方が関与しているというのが現段階での結論のようである

どの機能を見るかで両者の関与の割合が違うようだが、遺伝子以外の要素が我々に残されているのは大きな救いのように感じる

3番目の市川洋氏のお話は、ご自身の学生時代からの茶道の経験から固まってきた人間の在り方と科学の在り方についての考え方が中心であった

その中で、現代科学が取り巻く問題点の指摘があった

個人的な印象だが、その解決には哲学しかない、あるいは哲学は根源的な治療法を提供できると感じた


今日はほんのメモ程度になったが、詳細は近いうちに専用サイトに掲載する予定である

参考にしていただければ幸いです



































2023年3月3日金曜日

「出会い」再考
















今回のベルクソン・カフェにキーワードとして出てきた「出会い(rencontre)」

この言葉は2005年にブログを始めて以来、わたし自身のキーワードにもなっていたので、興味深くバディウさんの論を読んだ

出会いが齎す緊張を含んだ「選択」

それこそが真の幸福すなわち絶対へと我々を導くという

そういう認識が初めからあったわけではないが、目の前に現れる扉の向こうには何が見えるのかという好奇心が、先に進む後押しをしてくれていたようだ

その歩みが実は絶対的なるものへの道であるというバディウさんの見方は、わたしに力を与えてくれる

最初は「反哲学」に興味を持って選んだテクストであったが、振り返れば、わたしの歩みに理論的な根拠を与えるものであることが判明

これなども偶然が齎した「出会い」だったと言えるだろう

それを「出会い」と認めるためには、注意深い観察が必要になる

それまでの流れとの僅かなズレを感じ取らなければならないからだ

そして、それがどんなに些細なものであれ、絶対的なるもの=真の幸福に繋がる契機になるということも忘れないことだろう







2023年3月1日水曜日

第7回ベルクソン・カフェ+第9回カフェフィロPAWL、無事に終わる
























今日は第7回のベルクソン・カフェと第9回カフェフィロPAWLを合同で開催した

年度末のお忙しいところ、参加していただいた皆様に感謝したい

テーマはアラン・バディウ(1937- )による「幸福と反哲学」とした

これは『真の幸福の形而上学』Métaphysique du bonheur réel (PUF, 2015) の第2章に当たる

今回は日本語訳を配布して、日仏を対照させながら読み進んだ

第一に興味を持ったのは、哲学に対する反哲学とは何を言うのかということと、それがどのように幸福に関連してくるのかという問題であった


冒頭にある「反哲学者」の定義によると、自らの実存の出来事を概念的な構築と対峙させる哲学者である

彼らの言う真理とは、頭の中で構築されたものではなく、出会いや実際に体験したものでなければならない

キェルケゴール(1813-1855)は、真理は内部にあるもので、主観性そのものが真理の特徴であると言っている

反哲学で重要になるのは主体になることで、それは純粋な選択にかかっている

その選択は偶然の出会いにより促され、真の幸福、真の生活はその後に現れる

それは平凡な満足を乗り越えなければ達成されない

他の反哲学者として、パスカル(1623-1662)、ルソー(1712-1778)、ニーチェ(1844-1900)、ウィトゲンシュタイン(1889-1951)、ラカン(1901-1981)などを挙げている


反哲学に対する哲学は、概念的で、体系的で、科学的なものであり、バディウ氏は哲学者に属しているとしている

ただ、反哲学からの挑戦を真面目に受け止め、考えなければならないという

詳細は専用サイトに掲載する予定である