小澤征爾氏が亡くなっていたことを知る
88年の人生だった
今の時代であれば、もう少し生きられたのではないかという気もする
ただ、病気との戦いだった後半生を考えると、その時が来たのかもしれない
その存在をいつ知ったのかは思い出せない
が、印象に残っているのは、学生時代に読んだ『ボクの音楽武者修行』(音楽之友社、1962年)だろうか
心躍ったことを思い出すと同時に、いつかは自分も外に出なければならないと思ったはずである
最初に実物に触れたのは、ボストンで研究生活を始めた1970年代後半のことになる
ボストン交響楽団の演奏会を聴くために行ったシンフォニーホールでのこと
颯爽と登場する姿を、どこか誇らしさを感じながら右側前方のバルコニーから見ていた
指揮者はオーケストラだけではなく、ホール全体を統御しているということを知った
残念ながら、当日のプログラムは思い出せない
それから7年に及ぶアメリカ生活だったので、何度もいろいろな媒体で触れていたはずである
その中で今でも印象に残っているのは、あるドキュメンタリー番組での彼の行動である
その時、チェリストのヨーヨー・マ(1955-)と屋外で対談(雑談)をしていたが、突然カメラの前に来てそれから先の撮影を遮ったのである
丁度、西洋音楽を東洋人が演奏することについての話題に入るところだった
当時はやや芝居がかっているなと思ったので、その深刻さには気づいていなかったのだろう
今回、テレビで流れていた映像を観ると、このテーマについて語っている場面も出ていた
あれから時間が経っているので客観度は増してはいるが、やはりそこに在る問題だということを認識できた
科学も同じように西洋由来のものであるが、音楽家ほどにはその壁を感じていないように見える
日本の近代科学は技術に集中することにより発展してきたからだろうか
しかしそのため、科学を支える精神的な文化に関する理解は乏しいというのが一般的な評価である
小澤によれば、若き日の日本は西欧の音楽に対抗するには技術しかないと考えていたようである
その点では科学と同じ出発点に立ったのだろう
遅きに失したとはいえ、今、それから先が求められる時代にいろいろな分野が入っているように見える
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