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2024年1月30日火曜日

ポパーの『開かれた社会』を読む(2)カントという哲学者



















昨日今日と春を思わせる日差しで、気持ちもウキウキしてくる

さて、再び日課に戻り、ポパー(1902-1994)の『開かれた社会とその敵』を読むことにしたい

この本は、啓蒙の批判的哲学者としてのカント(1724-1804)に捧げられている

冒頭に、カントの死後150年にあたる1954年2月12日にロンドンのBBCで行われた講演が掲載されている

今日はポパーのカント評を読んでみたい


カントはケーニヒスベルク(現カリーニングラード)を出ることなく80年の人生を終えた

隠遁生活も長かったようなので葬儀は簡単なものになると思われたが、人々は彼を王のように葬ったという

カントのための晩鐘は、アメリカ革命(1776年)とフランス革命(1789年)の理念の余韻ではなかったのか

人間の権利、法の下での平等、世界市民、知による自己解放、地上における永遠の平和を説いたカントへの感謝の表れだったとポパーは推測している


このような理念の萌芽は、ヴォルテール(1694-1778)の『イギリスについてのロンドンからの手紙』にあったという

その中で、イギリスの立憲制と大陸の絶対君主制、イギリスの宗教的寛容とローマ教会の不寛容、ニュートン(1642-1727)やジョン・ロック(1632-1704)の分析的経験論とデカルト(1596-1650)の独断論が比較された

これが近代の哲学的、政治的運動(啓蒙主義)の原点になる

カントは感傷的な熱狂や狂信、ロマン主義的精神を批判し、啓蒙を信じていたが、フィヒテ(1762-1814)、シェリング(1775-1854)、ヘーゲル(1770-1831)らのロマン主義的なドイツ観念論者が彼を自派の創始者としてしまった

カントは彼ら観念論者に利用されたとポパーは見ている

カントが考える啓蒙とは、他の人の指導がなければ自らの知力を使うことができない未成年状態から抜け出ることである

自らが自身の知力を使う勇気を持て、というのが啓蒙の標語だという

これは、子供時代に狭い考えの中で育ったカントが、そこから知によって自己解放することを決意したことが背景にあるようだ

まさに、哲学的生き方と言えるものだろう


そこで重要な役割を担ったのが、ニュートンの物理学と天体力学であった

カントには『天体の一般自然史と理論――ニュートンの原理によって論じられた、全宇宙の構造と力学的起源についての試論』(1755)という重要な著作がある

カントを認識論や『純粋理性批判』に導いたのは宇宙論の問題だったという

具体的には、宇宙は有限か無限かという問題、あるいは時間と空間の関係の問題であった

カントが宇宙に時間上の始まりがあるか否かを検討している時、『純粋理性批判』の中心課題となる「二律背反」(アンチノミー)を発見した

始まりがあるともないとも証明できたからである


時間と空間は実在の経験的世界に属しているのではなく、宇宙を把握するための精神的道具である

あらゆる経験において利用されるものである

カントは自身の理論を「超越論的観念論」と名付けた

これが難解な文体も手伝って、物理的なものの実在を否定する観念論者にさせられてしまった原因だとポパーは見ている

カントの言う「純粋理性」とは、観察によって統御されない空っぽな理性を指し、それを批判したのである

ニュートン物理学から学んだことは、彼の理論は観察によっても検証されるが、それは観察の産物なのではなく、我々の思考から生じたものであるということであった

つまり、感覚知覚を整理し、関係づけ、理解するために我々が用いる思考方法から得た結果である

カントはこう言っている

「悟性は、その法則を自然から汲み取るのではなく、自然に対して法則を課すのである」

カントの「コペルニクス的転回」である

自然が法則を我々に押し付けてくるのを受動的に待つのではなく、我々が能動的に感覚知覚に秩序を与え、法則を自然に押し付けなければならないということである

自然科学を人間的な創造行為、一つの芸術と見做したのである


カントは倫理面でも、人間に中心的な立場を与えた

我々は権威の命令に盲目的に従ってはならず、超人間的な権威を道徳の立法者として盲目的に服従してはならないとした

そのような命令に直面した時、自分の責任においてそれが道徳にかなっているか否かを決定しなければならない

カントは同じことを宗教の領域にも適用した

神なるものが出現した時、自身の良心によって、それを神と考え、敬ってよいかどうかを判断しなければならないとしたのである


カントの哲学の基礎には、ニュートンの宇宙論と自由の倫理学があった

最後に、ソクラテス(c. 470–399 BC)と比較しながらカント哲学をまとめている

二人とも自由のために戦った

彼らにとっての自由とは、拘束がないという以上に、人生の唯一生きるに値する形態だった

ソクラテスは、自らの精神が屈服しなかったが故に自由であった

自由な人間というソクラテス理念は、西洋の遺産である

カントは、そこに自由な人びとの社会という理念を付け加えた

人間が自由なのは、自由に生まれてくるからではなく、自由に決定する責任を背負って生まれてくるからだとしたのである


全身に力が漲ってくるのを感じるような演説であった