2023年4月30日日曜日
木村信也というアルチザンにして芸術家
2023年4月29日土曜日
プロジェクトなしの今年のこれまで
2023年4月28日金曜日
哲学論文の書き方
2023年4月27日木曜日
現代文明批判としての『免疫から哲学としての科学へ』と『免疫学者のパリ心景』
知識は継続する。しかし、もし哲学が知識でないとすれば、継続することはできない。哲学は常に始まるのだ。すべての哲学者はいつも「わたしは始める」といった。(初めに)過去の全体についての新しい解釈があるのだ。
2023年4月26日水曜日
「パリから見えるこの世界」を英語の世界から見直す
2023年4月25日火曜日
新たな展開と懐かしのアルト・ハイデルベルヒ
昨日は月曜で週の初めだったが、一日で実に多くのことが起こった
いずれも目には見えないことだが、過去を振り返るものがあったり、先に繋がることも含まれていたりで、充実していた
朝はやや退屈気味だったが、夕方から夜中にかけて想定外の盛り上がりを見せてくれた
ただ、新たにやらなければならないことが出てきたのではあるが、、
一日は本当に長いのである
いつものように、まだ火曜日なのかという感想が出てくる
先ほどテレビをつけると、ハイデルベルクの街歩きが流れていた
学生時代、『思ひ出:アルト・ハイデルベルヒ』という本を読み、想像を膨らませたことがあった
それから院生時代と研究者になってからの2回訪問しているが、気が付かないうちに最後の訪問からもう30年ほど経過している
ということで、景色を見ても記憶を呼び覚ますものがほとんど出てこなかった
また、ハイデルベルク城は記憶に残っているものと少し違うように見えた
懐かしさを感じるのは、ハイデルベルクさらにはハイデルベルヒという街の名前だけのようである
2023年4月22日土曜日
ゆったりした土曜日
このみちのさきには、なにかなにかあろうよ。
2023年4月20日木曜日
論文執筆を始める
『免疫から哲学としての科学へ』の中には「わたしの発見」をいくつか織り込んでいる
その中の一つを英語論文にするべく動き始めた
英語論文は久し振りである
丁度、「パリから見えるこの世界」の英訳を始めたところだが、その過程はこれまでに考えたことを別の視点から見直す機会になっている
今回の試みについても、執筆当時の考えをさらに深める機会になることを願っている
クリアしなければならない問題はいくつかある
当然のことだがまず、一つの纏まりを作ることができるのかどうか
そして、それを価値あるものと認めるところがあるかどうかである
その結果、公表されることになれば、より多くの人が「わたしの発見」を目にすることになる
そこでフィードバックが生まれれば、考えはさらに深まることになる
ということで、精神に緊張を与えることにもなるだろう
昔のように仕事としてではなく、生きる一環としてやることなのでストレスが全くないのも見逃せない
2023年4月19日水曜日
1日の景色の変化
2023年4月18日火曜日
人工知能のこれから
先日、クロノス症候群について触れた
人工知能(AI)が人間の仕事を奪ってしまうのではないかという不安や恐怖のことを言うようだ
天空に棲んでいると、そのような現状を実感として掴むことができなくなっている
ただ、この問題をどのような枠組みの中で考えればよいのかということに関しては、注目する必要があるだろう
わたしの場合には、特に哲学的な枠組みである
特殊な仕事をさせるために、言わば道具としてAIを使う場合(narrow AI)と総合的な仕事をさせるためのAI(general AI)は別に考えた方がよいのではないかという
前者の場合には、すでに人間を超える能力を具えたものが出来上がっているようだ
後者の場合、現状では人間のように独自にデータを集めたり、それを人間の助けを借りずに解析するところまでは行っていないらしい
今後、技術が進歩してそのレベルにまで達することも考えられる
その可能性は低くはないような予感がしているが、そこで意識のようなものが生まれ、自分で判断できるようになったとしたらどうなるか
その場合、彼らは我々のパートナーのような存在になるので、どのような扱いをすればよいのかという倫理的な問題が生じることになる
さらに、SFなどで見られるように、彼らの中に悪い奴がいて人間を滅ぼしにかかる者が出ないという保証もない
このようなことはすでに言われていると思われるが、考えるべき問題は山のようにありそうだ
地上に降りると、一気に疲れが出てきた
2023年4月17日月曜日
スティーヴン・ホーキングの最終理論とは
On the Origin of Time: Stephen Hawking’s Final Theory (Bantam, 2023)
『時間の起源について: スティーヴン・ホーキングの最終理論』
著者はホーキング博士の最後の共同研究者だったトマス・ハートッホ(1975- )氏
現在はルーヴェン・カトリック大学で研究をされている
このニュースに興味を持ったのは、ストーニーブルックの哲学教授ロバート・クリーズさんの評価であった
Nature 誌に出ていた書評は、"The never-ending quest for a beginning" と題されている
その中でクリーズさんは、2つのことに苛立ったと書いている
一つは、著者がホーキングというブランドを崇め奉っていること
例えば、「デルポイの神託」とか「科学の使徒」とか「わたしが知っている最も自由な人間」など
そのような表現からはホーキングの実像を捉えることができないと考えているからだろう
そして2つ目は、師匠譲りの哲学に対する軽蔑だという
『免疫学者のパリ心景』でも紹介したが、ホーキングは「哲学は死んでいる」と言っている
ただ、それは哲学がやっていることを正しく理解していないための発言で、批判されるべきだろう
ハートッホ氏も、科学は数学を用いて彼が哲学的だと考えている問題に回答を与え、哲学の先を行っているとしている
しかし、その考えは間違っているとクリーズさんは考えている
科学者の仕事は自然を解析することだが、哲学者は科学者がどのように解析しているのかを研究するのが仕事だと見ているからだろう
いずれにせよ、実際にどのような内容なのか、この目で確かめたくなってきた
2023年4月16日日曜日
「ミーニングフルネス」とは(2)
2023年4月15日土曜日
「ミーニングフルネス」とは(1)
Meaning in Life and Why It Matters (Princeton UP, 2012)
『人生における意味とそれが重要な理由』
2023年4月14日金曜日
制御性T細胞の研究史を読む
2023年4月12日水曜日
「パリから見えるこの世界」を英語にして読み返す
2023年4月10日月曜日
井筒俊彦の自我と自己、あるいはわたしの「意識の3層構造」
7年ほど前のメモを読んでいる時、井筒俊彦(1914-1993)についてのコメントを見つけ、一昨日とのつながりを感じる
メモを読んで感じたのは、かなりの部分を忘れているということであった
そんな前に名前が出ていたことに少し驚いたのである
そこにあったのは、以下のようなことであった
「自我」とは実存する人間の表層活動の中心で、「自己」は通常意識されることのない無意識の領域まで含めた人間の存在全体の中心とされており、「人間内部で働く宇宙的生命の創造的エネルギーの原点」である
自我と自己を区別している
わたし流に解釈すれば(井筒の解釈と同じであるという保証はないが)、次のようになるだろうか
「自我」とは意識の表層にあるもので、「自己」とはより深層にあり、その人間全体を動かしている原点にあるものである
わたしの意識の3層構造で言えば、自我とは第1層で動いている意識で、自己は第3層に及ぶ意識となるだろう
井筒の場合、自己の中に無意識の領域も含めている
わたしの場合、意識されているものを対象にしているが、敢えて無意識をこのモデルに入れるとすれば、第4層とすることができるかもしれない
いずれにせよ、日常に追われている時にはほとんど自我しか働いていない可能性がある
井筒が見ていた現代の問題は、自我と自己の乖離であった
わたしの場合には、第1層に留まる思考に終始する現代人が第3層に至る思考を蔑ろにしているところに問題を見ている
これはわたしの考えだが、第3層に至る思考をし、あるいは自己に近づくためには、内的探検とも言える瞑想が有効になるだろう
思わぬところから、井筒との繋がりが見えてきた
もう少しご本人の声に耳を傾ける必要がありそうだ
2023年4月9日日曜日
科学における革新と理解と説明
2023年4月8日土曜日
井筒俊彦によるプラトンの神秘主義と「科学の形而上学化」
2023年4月7日金曜日
雨の日はリュートミュージック
昨日、今日と雨が続いている
こんな日はリュートの音色がしっくりくる
今朝はその音楽の中で時の流れを見つめている
昨日は静かに過去人の声に耳を傾けていた
プラトンの『饗宴』と拙著『免疫から哲学としての科学へ』の中でも引用したミシェル・セール(1930-2019)さんの『パラジット』(Le Parasite)である
繰り返し読んでいるとその都度発見がある
今日もその続きを読むことにしたい