昨日の夜、古い資料が山になっているのをひっくり返した
その中に哲学論文の書き方という文書があった
アメリカの大学の哲学教師が学生のためにまとめたものである
科学から哲学に移った当初、哲学論文というものが何か特別のものに見え、全く筆が進まなかった
そこで、哲学論文とはどういうものなのかを調べた時のものだろう
フランスとアメリカの大学のサイトに当たってみた
そして、この手の情報はフランスには乏しく、アメリカでは微に入り細を穿つ解説が溢れているのに驚いたのである
フランスの放任主義にも見えるやり方に好感を持ったことを思い出す
ということで、手取り足取りの解説に目をやることもなく、一人で苦しんでいた
その後も哲学論文を書こうという気にはならなかった
その気が出てきたのは、大学院を卒業して何年かしてからであった
自分の中にある考えを専門家はどう見るのかを知りたくなったからだろう
今朝その解説を読んで、今論文を書こうとしていることもあり、参考になるところが少なくなかった
例えば、普段は使わない難しい言葉を使ったり、変に文学的にするのではなく、日常の言葉を使い、簡潔に書くこと
自分の意見を表明するのではなく、その意見を相手に納得させるために「議論」すること
そのためには、他の哲学者の考えを出して論じたり、他の例を出すことも有効である
意外だったのは、哲学論文では直接引用することをできるだけ避けること
引用したい場合には、その内容を自分の言葉で説明するようにとのこと
その他にも細かいことが書かれてあったが、結局はどれだけ説得力のある厳密な議論を展開できるのかがポイントになるのだろう
結論ではなく、そこに至る過程が重要になる
哲学に入ってから、このような視点が自分の思考や文章に表れるようになっているのかもしれない
そんな希望的な想像をした朝である
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