スーザン・ウォルフ(1952- )というノースカロライナ大学の哲学教授が書いた本が届いた
Meaning in Life and Why It Matters (Princeton UP, 2012)
『人生における意味とそれが重要な理由』
この本でミーニングフルネス(meaningfulness)という概念を提唱したいようだ
マインドフルネスという言葉は広まっているが、ミーニングフルネスという言葉にはまだ出会ったことがない
人生において深い意味を持つ状態とは何を言っているのだろうか
そのあたりを理解したい
著者はまず、行動を選択する際に人間が考える基準として、これまで2つの流れがあったとする
一つは自分の利益のため、もう一つは自己利益に加えて、個人を超えたより高いところからの視点もあるとする二元論である
後者には、正義とか道徳などの視点が考えられる
しかしこれらの考え方には、他の多くの動機が除外されていると著者は主張する
それは幸福とも道徳とも異なり、人生を前に進める力を持つもののことである
例えば、家族を喜ばせるとか、庭の草むしりをするとか、頭を絞って哲学書を書くとか、チェロを弾くとか、、
これらを著者は「愛の理由」と呼んでいる
ミーニングフルネスという言葉は、大学の哲学者はあまり使わない
寧ろ、神学者とか心理学者(心理療法士)によって使われているという
意味(ミーニング)という言葉は、人生が空虚に感じられたり、他の人が充実した人生を送っているように見える時に浮かんでくる
あるいは、死を意識したり、死の床にいる場合にもこの言葉が現れるようだ
ミーニングフルネスという言葉を、愛するに値する対象を積極的に愛することから生まれるものと理解したいと著者は言う
あるいは、その人の人生が愛するに値するものを深く愛するが故に、心が鷲掴みにされ、わくわくしている状態を指す
同じ愛すると言っても、煙草を吸い過ぎたり、ゲームをし過ぎたりするのは価値がないと著者は考えている
アリストテレス(384 BC-322 BC)は道徳的主張をする際に「エンドクサの手法」を用いたことでも有名である
エンドクサ(endoxa)とは、多くの人に受け入れられているもの・ことのことで、彼の探究の出発点になった
一つの見方が広く認められていることに合致するのか、他の見方とうまく調和するのかを判断の基準にしたのである
意味のある人生に関して、これまでに広く言われている2つの見方がある
一つは、それが自分に期待されているからとか、一般に良いと言われているからという考えから離れ、自分の好きなことを追究しなさいという見方
もう一つは、真に充実した人生を送るためにはそれでは駄目で、自分より大きな何か、自分を超える何かに関わりなさいという見方である
著者が考えるミーニングフルネスは、この両者を融合したようなものではないかという
自分の人生に意味があると感じるためには、主観的な側面と客観的な側面が必要なのではないかと考えているからだろう
これからミーニングフルネスのより哲学的な定義をするのではなく、その構成要素、そこにある具体的な価値を明らかにしていくようだ
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