7年ほど前のメモを読んでいる時、井筒俊彦(1914-1993)についてのコメントを見つけ、一昨日とのつながりを感じる
メモを読んで感じたのは、かなりの部分を忘れているということであった
そんな前に名前が出ていたことに少し驚いたのである
そこにあったのは、以下のようなことであった
「自我」とは実存する人間の表層活動の中心で、「自己」は通常意識されることのない無意識の領域まで含めた人間の存在全体の中心とされており、「人間内部で働く宇宙的生命の創造的エネルギーの原点」である
自我と自己を区別している
わたし流に解釈すれば(井筒の解釈と同じであるという保証はないが)、次のようになるだろうか
「自我」とは意識の表層にあるもので、「自己」とはより深層にあり、その人間全体を動かしている原点にあるものである
わたしの意識の3層構造で言えば、自我とは第1層で動いている意識で、自己は第3層に及ぶ意識となるだろう
井筒の場合、自己の中に無意識の領域も含めている
わたしの場合、意識されているものを対象にしているが、敢えて無意識をこのモデルに入れるとすれば、第4層とすることができるかもしれない
いずれにせよ、日常に追われている時にはほとんど自我しか働いていない可能性がある
井筒が見ていた現代の問題は、自我と自己の乖離であった
わたしの場合には、第1層に留まる思考に終始する現代人が第3層に至る思考を蔑ろにしているところに問題を見ている
これはわたしの考えだが、第3層に至る思考をし、あるいは自己に近づくためには、内的探検とも言える瞑想が有効になるだろう
思わぬところから、井筒との繋がりが見えてきた
もう少しご本人の声に耳を傾ける必要がありそうだ
0 件のコメント:
コメントを投稿