新刊『免疫から哲学としての科学へ』の第1章では、アラン・バディウ(1937- )さんの言葉をエピグラフとした
免疫学の本にこの方が登場したのは初めてではないかと想像している
10年以上前にその言葉を聞いた時、頭の中がスッキリしたというか、自分がやろうとしていることが一つの枠組みの中にすっぽり収まったという感覚に陥った
それはこういう言葉であった
知識は継続する。しかし、もし哲学が知識でないとすれば、継続することはできない。哲学は常に始まるのだ。すべての哲学者はいつも「わたしは始める」といった。(初めに)過去の全体についての新しい解釈があるのだ。
哲学は知識ではないと言っている
それでは知識を提供するのは何なのか
それは科学と言ってよいだろう
そこでは想像に基づくものが排除される
科学は文明に属している
知識を介してどこへでも伝達される
この状態をよしとしているのが現代文明とも言えるだろう
当時のわたしの考えは、知識で止まっていては駄目だというもので、それは今でも変わっていないどころか、より明確な形でわたしの芯を形成するようになっている
その一つが「科学の形而上学化」だが、あくまでも科学が提示した知識をもとにするが、そこを超えなければならないという「わたしの方法序説」である
それは科学を文化にすることにも繋がる
文化にまでならなければ、人間の心には入ってこない
そのために必要なものは「思考・思惟」あるいは哲学的思索だが、現代ではそれが弱体化さらには欠落しているように見える
今回の本は、前作の『免疫学者のパリ心景』同様、この見方をベースにした試みである
その意味では、この二著には現代文明批判の側面があるとも言えるだろう
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