昨日で最後のカフェSHEのまとめを書き終え、スッキリした
ここで秋のカフェ/フォーラムを振り返っておきたい
今回も、沼の底で暮らしている日常の中で想像していた姿とは全く違ったカフェ/フォーラムが現れてくれた
それぞれのテーマに興味を持つ方々の参加を得て、それぞれの会は全く異なる雰囲気を醸し出す
一人で読んだり考えたりしている時とは違うものがそこに漂うのである
それをしっかり感じ取り、非常に難しいのだが、できるだけ正確にまとめるという作業が主宰者には待っている
それが一通り終わって初めて、会が終わりを迎えるという感覚だろうか
特に今回、この点を明確に意識し始めたようである
このような会の特徴は、対話があるということになるだろう
プラトンを研究したハンス・ゲオルク・ガダマーは、理解することは対話することだとまで言っている
その上で完全な理解には達し得ないとしている
またプラトンは、対話において相手を真に理解しようとしたならば、普通の意識状態にいては駄目だというようなことも言っているようだ
プラトンの言うイデア界に至るような研ぎ澄まされ高められた意識状態が求められるということなのだろうか
もしそうであれば、対話というものの意味を真剣に考え直す必要があるかもしれない
そうすることによって、カフェ/フォーラムの質や深さに変化が出てくることが期待されるからだ
もちろん、意見が異なる者同士の対話がどんどん難しくなる現代においても考えを深めなければならない問題であることは論を俟たないのだが、
これからも考えていきたいテーマが増えたことになる
今、5年ほど前に書いた対話に関するエッセイを読み直しているところである
ハンス・ゲオルク・ガダマー、あるいは対話すること、理解すること(医学のあゆみ 265: 911-915, 2018)
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