本日は、午前中から場所を2回替え、直前まで第8回ベルクソン・カフェの準備に追われていた
会が始まるまでには何とか纏まりを付けることができた
ただ、何度見直しても修正点が見つかり、この道には終わりがないことを痛感させられた
今回読んだテクストは、J・F・マッテイというフランスの哲学者のソクラテス以前の哲学者についての解説であった
これまでのような込み入った表現が少ないものを選んだつもりである
この中で「ギリシアの奇跡」と言われることもある、古代ギリシアで生まれた理性とその使い方やそこから生まれたヨーロッパ科学の特徴などが指摘されていた
それから、「アルケー」と呼ばれる万物の原理の探究過程を、ミレトス学派やピタゴラス学派を例に取って解説
この過程で人間の思考に起こった変化は、感覚で捉えることができるものを基に自然を理解するのではなく、感覚や経験を超えた抽象的な概念で世界や宇宙を説明するようになったことである
この理論的眼差しは、理論(テオリー)の元になった「テオリア」(もの・ことに注ぐ視線)に起源がある
それは、舞台で繰り広げられる場面を観るために劇場(テアトロン)まで出かけていき、対象との距離を保ちながら観察することを意味していた
これこそが古代ギリシア思想に特徴的なことであり、この理論的な視線は「プラクシス」(日常における実際的な行動)にも応用された
つまり、「テオリア」は常に「プラクシス」をコントロールしなければならないという考えが出来上がったのである
ただ、このような変化がギリシアだけで起こったとする「ギリシアの奇跡」的考え方が高じると、自国第一主義や人種差別につながりかねないとする批判が出されている
このことに関連して、東西の思考の違いについても議論されたが、それを聞いているかぎり、今回読んだ古代ギリシア人の思考の特徴は日本では見られないとする意見が多かったようである
さらに関連して、現代日本における思考の欠如やそれによる文化の想像以上の衰退なども指摘され、我々は大きな問題を抱えた中に生きていることを痛感する一夜となった
もう少し詳しい内容は、近いうちに専用サイトに纏める予定である
今日の懇親会場は、これまでに見たこともないような満席状態で、声を張り上げなければ聞こえないほどであった
ここでも日本文化についての話題が中心であった
大きな課題を抱えて帰路についた
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