2023年8月15日火曜日

出隆による「新生としての哲学的精神」





今日は、出隆の『哲学以前』の序論「真理思慕」の2番目の論考「新生としての哲学的精神」を読みたい


哲学という言葉の元にある philosophia には「智慧を追求し愛慕する精神」が示されている

外装がいかに変わろうが、この精神だけは哲学のものだという

それから「智慧ある者」(sophistai)に対して、智慧はないが「知を愛する者」(philosophos)と自らを称したソクラテスの中にその精神は表れている

この哲学的精神は、智慧を慕い求める愛の努力である

所有し教えるそれではなく、追究する精神であり、真理に対する切なる思慕であり意欲である

哲学的愛慕(エロス)は、プラトンの『饗宴』によれば、貧と富の間に生まれた娘である

彼女は常に豊富を求める

真理を自己のものにしようとする熱情を持っているが、富者の貪欲な知識収集でも、博識を誇るディレッタントの知識欲でもない

ソクラテスが求めたように、外から掻き集める智慧ではなく、陣痛を経て自らが発見する真の智慧である

ソクラテス自身が智慧を生み出すのではない

人が真理に至るのを助け導くのである

真理の所在を示す羅針盤である

これこそが哲学の任務だという


プラトンにとって、求める理想の真理はイデアの郷にある

霊魂はかつてそこに住んでいたが、肉体と結合して現世に降りて以来、魂にできるのはエロスをもって故郷を思うことだけである

つまり、真理に至るには感覚的、肉体的汚れを落とし、思惟だけにならなければならない

それは肉体の死を意味している

哲学が死の支度と言われる所以である

哲学的思惟の動機は、生活と思想の根本仮定と根本矛盾を発見することであり、哲学の途はその批判的統一の過程だという

既存の思想のうちに虚偽・仮定を発見し、新しい問題を提出することが哲学者の任務だと言える

ジンメルも言うように、哲学者の偉大さは彼が与えた解答ではなく、彼の提起した問題によって決せられる

つまり、哲学的新生とは、新問題を敷設していく不断の基礎工事だとも言えるだろう

ベルクソンは、哲学の見方は事物事象の核心に入りそのものと成り、共に流動しつつ考える(直観する)ことにあると言った

著者も哲学する(philosophieren)とはそんなものだと言う

自ら腹を痛めた哲学説には、その哲学者の個人的色彩が強く現れるとともに、そのような哲学的思惟にまで力づけた動機に応じた哲学体系が宿るだろう


これまで哲学的精神が何たるかを見てきたが、これから先は指導するものなしに独りで真理創造の途を登らねばならない












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