2023年8月18日金曜日

出隆の「そのままの事実すなわち純粋経験とこれを見る立場」

































今日も出隆著『哲学以前』の緒言に当たる「立場と世界」の「2.純粋経験とこれを見る立場」を読みたい

純粋経験とはどんなものか

それは見る我と見られる対象とが区別されていない主客未剖の状態で、主客合一・物我一如の境地だという

沈みゆく太陽を見ている我と太陽との境がなくなるような状態、あるいは何かに打ち込んでいる時に時間や場所が消えるように感じなどがそれに当たる

それは表現し得ない経験そのままの状態である

思惟された内容ではなく、思惟しているそのことこそが純なるこの状態である

夕日の景色を眺めて科学的・心理的に分析するようになると、主客が分裂し純粋経験の状態から離れる

知識となるものは、純粋経験について考え、判断し、意識した(客観化された)内容である

この主客が分裂した状態から、再び主客を統一しようとするが、それが意識するということだという

意識する方向は多方面に及び、統一を生み出そうとするが、それが学問の立場になるのではないか

学問とは純粋経験に根ざす純粋思惟が諸方面に及んだ時の意識、すなわち知識の体系だと言えるだろう



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いろいろな例やメタファーを出して説明されているが、少々くどいようにも感じる

そう思っていたら、最後にカントの「そんなにまで明瞭にしようとしなかったなら、いっそう多く明瞭であったろうに」との言葉が引用されていた

この分野に入って感じていることは、書かれてあることを自分で経験していなければ、分かったような気分にはならないということである

その意味では、哲学は時間がかかるとも言えるだろう

幸い、今回の純粋経験とそれについての思惟の関係はよく理解できるものであった











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