2023年8月14日月曜日

出隆著『哲学以前』を読み始める






日本語による哲学入門書の第2弾として、出隆による『哲学以前』に目を通すことにした

これを手に入れたのは2007年以降であることは分かるが、正確な年は分からない

ただ、これまでに読んでいないことは確かである

序を見ると1921年に書かれたことになっているので、表現が仰々しく感じるところもある

これは論文集ではなく、一般への普及啓蒙書(いかに哲学するのかを平明に示そうとした書)だという

当時も哲学への欲求が高かったようだが、哲学の社会化、民衆化は欲するが、通俗化を欲する者ではないと断っている

この点など、現代にも通じる問題になるだろう



今日は、冒頭にある「真理思慕」と題された序論に当たるところにある「真理への愛欲と知欲=知識欲」を読んでみたい

始めから、文学的というかメタフォリカルな表現に溢れている

その隙間を縫ってエキスを抽出していきたい

哲学に入った最初には迷いがあり、淋しさがあったようだ

それが何であったかと言えば、愛欲であり知欲であったという

それはアダムとイブ以来存在する原罪のようなものである

その存在は疑えば疑うほど確実になる事実であり、そこに苦悩を伴うのもまた事実である

苦悩がある故に、知識欲を放棄することも可能かもしれない

しかし哲学を欲する者は、それを宿命と受け止め、毒杯を仰いだソクラテスのように永遠にそれを飲み続ける覚悟が必要だと著者は言う

この知識欲を取り巻く状況は、永遠の闇に住んではいるが、光明の頂にまで意識を追いつめて行く闇であり、常に自己の周囲に闇を創造して行く何かである

光には到達することはできないが、それでもなお光を求める闇である

このような指摘はこれまでにもされているので、よく理解できる

さらに叙述するとすれば、淋しさや迷いのもとには何ものかを求める原始的で模索的な意志がある

相手を知ろうとする欲求がある


ここで、普通の知識欲=好奇心と真なる知識欲との区別が出てくる

真なる知識欲とは、正・善・美を理想とした論理的・倫理的・芸術的・宗教的などの「まこと」を欲するものだという

これに対する好奇心は、博識欲とでも言うべきもので、知識を単に集めて貯め込む方向にのみ進み、「まこと」を求める心に欠けるとしている

後者の知識欲は気概なき歴史家や史料編纂官に見られるもので、哲学史研究家の著者にもその要素ありと見ておられる

真の知識欲は、自らの知識を作り、破り、深めながら、より普遍妥当的な知識へと自らを高め、仕上げて行く

それは常識的な知識から科学的知識へ、さらにそこから哲学的知識などへと進むことであろう

この真の知識欲を「哲学的精神」と呼び、philosophia という言葉とともに「哲学とは何か」について、これから考えを進めるようだ












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