2023年8月22日火曜日

出隆の「科学と科学批判としての哲学」(1)














昨日は旧研究室のメンバーとの会食があった

参加予定のお一人はコロナの家庭内感染が疑われ、急遽欠席となった

コロナはまだそこにあるようだ

今回は久しぶりで、定年を迎えたり、今年定年という方もおられ、時が確実に流れていることを感じた

自分では年を重ねているという感覚がないので、改めて驚いた次第

院生として加わっていた2人もすでに50を迎えようかということなので、致し方ないだろう

彼らが当時参加したインドでの学会発表の思い出話などで盛り上がっていた

またの機会があれば再会したいものである

そして、皆さんの更なる活躍を願っている


さて本日も出隆の『哲学以前』に目を通したい

緒言7の「科学と科学批判としての哲学」である

まず、科学的態度とは何を言うのかだが、著者は知的な態度だと言い、情緒的なものとは一線を画し、哲学と親和性があると言う

感情というのは直接的であるが、知は間接的である

その意味は、対象を表象し、想像し、反省し、思惟した結果だということである

それでは、科学と哲学の違いはどのように考えられるのだろうか

古代ギリシアにおいて哲学は、学問と同一の範囲を占めていた

それは、神話的、宗教的解釈を離れて、純理論的、概念的に自然現象を理解しようとするものであった

現象の本質に迫ろうとする欲求を形而上学的欲求と言う

これが生まれたのはギリシアの植民地であったが、当時対象は外界にあったが、文化の中心がギリシア本土に戻る頃には、その目が内的世界にも向かうようになった

ギリシアにおける哲学の完成者としてのアリストテレスは、諸学を総括する全体の学と、それらに共通する根本原理を解明する「第一哲学」(後に形而上学と呼ばれる)を区別した

続くローマ時代には、時代の倫理的、宗教的要求に応えるべく倫理哲学、宗教哲学に重点が移り、中世に至って哲学は「神学の侍女」と呼ばれるまでになった

それは、哲学が本来持っている一切の根源に分け入る努力という側面が失われ、他から与えられたものを弁護する学に堕したことを意味した

しかし、ルネサンスを迎え、学問的思索は教会から解放され、プラトンに代表されるギリシア哲学の再生と同時に、プラトン以前の自然哲学者も復活を遂げる

その後、自然を対象にした学問(自然科学)の発展が続くが、まだ哲学と科学は明確に区別されていなかった







0 件のコメント:

コメントを投稿