昨日は、科学とキリスト教との関係について研究されている方とのディネがあった
その昔共同研究をしていたイギリス人の紹介でお会いすることになった
どのような領域においても、一つの枠の中に安住したいという多数の人たちと、そこから出て異なる領域の人と交わりたいと考える少数の人たちがいるようだ
わたしは科学を出て哲学に入り、そこから科学に問いかけるような位置にいるので、興味を持たれたのかもしれない
お話はまさに異分野の人間がそれぞれの領域を探り、接点を求めようとするものになった
これからいろいろな化学反応が起こる可能性を感じる貴重な時間となった
それでは今日も出隆の『哲学以前』を読みたい
緒言の「4.立場とその立場における世界」である
早速始めたい
ここで問題になるのは、立場に現れる世界である
普通の簡単な考え方は以下のようなものになるだろう
常識的に見られたそのままの事実が我々の意識の外に多数存在し、それを一人の人間の立場から一面的に選択統一され、一つの世界を構成する
そこから諸学を含むいろいろな立場から見える世界が検討される
ある立場に立つということは、その視点から見ることを選択することである
そこで問題になるのは、ある対象はいろいろな面を持っており、一つの立場からでは捉え切れないことである
マルクスという人間と学問がそこにあるが、それを一つの立場から捉えるのは極めて難しいだろうという
特に学問の世界になると、専門外のことには口出ししないという暗黙の了解がある
例えば、科学者は価値について口を出してはいけないとして、一つの事象に評価を下すことから逃げることがある
このような事情のため、一つの事象を一つの立場から見える部分をもってその全体だと錯覚するようになる
立場ということから拙著『免疫から哲学としての科学へ』を見れば、そこにある免疫という現象をいろいろな立場から考え直そうとした試みということが言えるかもしれない
それでは、一つの事象をどのような立場から見ればよいのかと著者は問う
科学や哲学などの知的立場、情的、意志の立場、あるいは科学以前の神話的、常識的立場、宗教、芸術、道徳などからの立場もあるだろう
ただ、これらの境界が明瞭であるとは思えない
極言すれば、このような立場は無限にあるとも言えそうである
ここで著者は、立場について考えるのも一つの立場であるとして、立場そのものの検討に入るようである
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