まず、宗教と哲学が求めているもの、それぞれの対象は何なのか
哲学は、物自体、実体、根本原理などと呼ばれるものを求め、宗教は神聖なるもの、全知全能なるもの、永遠無眼なるものを神とか仏と呼んで求めている
いずれも世界や人生の根本問題について、人間の形而上学あるいは宗教的要求を満たすべく、最終統一者を対象にしていると出隆は見ている
対象に関しては両者の間に共通点もあるが、その態度は大きく異なっているという
宗教の場合、対象に自己を没していくが、哲学の場合には冷静に批判的に反省する
また、宗教の場合は結束する傾向があるが、哲学は個人的に活動することが多く、宗教に対しても批判者となることがある
宗教の宗派は数えきれず、それらを纏めて宗教の定義や本質を明らかにするのは宗教学や宗教哲学に任せる方がよいだろう
ただ、宗教的なるものについて考えを巡らせることは重要だろう
宗教的関係は神と人との間に結ばれるものであるが、そこに至る欲求は今の状態よりも良い生活、あるいは限りない生命を願う心で、それが宗教心だという
より良きものを求める心はあるが、現実の世界はそれを実現させてくれず、自らの小ささを痛感する
そこから、永遠無限な超越的存在に合しようとする「絶対者に対する純なる帰依の情」が生まれるが、それが宗教的関係だという
超越的な関係を内在的な関係にすることである
これに対する哲学は、客観的冷静の中で我と世界との関係を根本から知的に考察する態度だという
ここで、科学的尺度で宗教における神の創造や奇蹟の信仰について判断することについて触れている
これらの現象は科学の立場から不可解であり、虚構であり、迷信だと言われる
著者によれば、これらのことは知的分析を離れた宗教的純粋感情の立場でのみ、客観的、普遍的意味を持ってくる事実だという
理知を排し理知に反するのではなく、理知を超越した真の知であり、それは目や耳などを介する知覚ではなく、宗教的心情で捉えることだという
哲学は科学に対して科学批判の側面を持っているが、宗教に対しては宗教の自己反省という側面がある
それは全人格的反省であるため、哲学者としてとか科学者としてという限定を付けることは不都合である
人間は「・・・として」というところから自由な人格を持っているからである
科学者がそうであるように、哲学者が信仰を持っていた例は稀ではない
プラトンのイデア界においては道徳も宗教も芸術も合致していたのである
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