昨日はフランスでお世話になった方とのディネがあった
もう10年以上のお付き合いになる友人ということになる
お仕事が忙しかったとのことで、1時間遅れのスタートとなった
現実のお仕事は、今社会的に要求されていることが中心になり、それをこなすことに費やされるようだ
ただ、そもそもその仕事とは?という問いには皆さん乗ってこないとのこと
個別具体的なことを効率的にやることが求められ、やや哲学的で普遍的テーマには興味を示さなくなっているということだろうか
このところブログで取り上げていることとも関連するが、それは現代社会に共通する状況なのかもしれない
昨日はフランス語が聞こえる場所だったので、こちらも参加したい気持ちはあった
だが、フランスでは思考に重点を置いていたため、そのようなトレーニングはしてこなかった
今はフランス語を話す必要がない環境にいるので、やはりトレーニングを始める気にもなかなかならない
さて本日も、出隆著『哲学以前』の緒言「科学の方法と哲学の方法」を読むことにしたい
科学の方法には、第一義的には知識を得る方法であり、二義的にはそれを科学的体系にする組織方法がある
知識を得るためには、大きく2つの方法がある
第1は、普遍的な原理から出発して、同一律、矛盾律、排中律、充足理由律などを用い、他の特殊な知識を導き出すアリストテレス以来の演繹法である
この方法は、新しい知識を大きく広げることができない
第2は、経験的な自然科学が用いるもので、特殊な事象を集め、そこからその一切に適用可能な原理・法則を導き出すフランシス・ベーコンが主唱した帰納法である
こちらは「自然界の斉一」が前提となる
これまでがそうだったので、これからもそうだろうと言える状態でなければならない
哲学にはこのような条件を検討する科学批判の学としての側面があることについてはこれまで触れてきた
それ以外に哲学に特有の方法はあるのだろうか
著者は以下の3つを挙げる
1つは、ヘーゲルの主唱する弁証法的方法で、正反合を経て最高の真実在に至るとする
2つは、古くは神秘主義者、近くはベルクソンなどの直観的知力に基づく方法で、ものを外から見るのではなく、その中に入ってものそのままの状態を捉えることだという
3つは、フッサールなどの純粋現象学的方法で、あらゆる立場を除き去った純粋意識の立場からその状態を純粋に記述するものである
このように、科学と哲学とは方法上でも違いがあることが分かるだろう
ここで著者は、哲学者と科学者はそれぞれの領分を弁えなければならないと注意を喚起している
つまり、お互いの領域に口を出すべきではないというのだ
それから、科学万能主義が去らない現代において、科学の知識を他の領域に援用しようとする傾向があるが、それは誤りであるとしている
これまでいろいろなところに書いてきたように、前者の点には必ずしも同意できないが、後者の点には同意したい
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