2023年10月24日火曜日

今年のブログ活動(4)


























今日は4月の活動について振り返りたい

4月8日には、来月のカフェPAWLで取り上げることになるテーマのエッセンスが書かれている

この時期にアイディアが生まれているということは、これまでにはなかったように思う

具体的には、プラトンの『饗宴』と井筒俊彦によるプラトン哲学の解説、さらにわたしの「科学の形而上学化」の関連についてである

このあたりは人間の生き方(プラトン流に言えば、真の生き方)と関連する非常に重要な問題だと考えている

興味をお持ちの方は、第10回カフェフィロPAWL(11月14日)に参加していただければ幸いである



年初に思い付いた論文に向き合った形跡がある

しかし、現在まで結実していない

おそらく、そのような意識があったためだと思うが、その昔読んだ哲学論文の書き方までメモしている

例えば、難しい言葉ではなく日常的な言葉を使い、文学的にするのではなく簡潔に書くこと

自分の意見の表明ではなく、その考えを相手に納得させるために議論すること など

現在のわたしは、全体の論理の流れに乱れがないことに注意するようになっている



4月中旬には、「ミーニングフルネス」(人生における意味を持つ状態)についてのメモがある

その議論を纏めると、次のようになるだろうか

従来、自分の利益のための行動か、個人を超えたより大きな価値に基づく行動かという二元論があった

そこに、愛するに値する対象を積極的に愛することから生まれるものという基準が加えられる

それは、心が鷲掴みにされ、わくわくしている状態だと言っている

ただ、愛すると言ってもゲームやアルコールやギャンブルなどに溺れるのはその中に含まれない

自分の人生に意味があると感じるためには、個人レベルでの満足という主観的な側面だけではなく、正義とか道徳などのより客観的な側面を統合的に考える必要があるとする人がいる

後者の側面を考察する際に欠かせないのが哲学である

意味ある人生、幸福に至る道には、哲学が不可欠なのである

これはわたしの確信になっている



4月からエッセイ・シリーズ「パリから見えるこの世界」の英訳を始めている

そのことを介して、これまでの思索の跡を見直そうとしたのだろう

その後この活動は中断されているが、その考え方は現在進行中のブログ活動の振り返りと同根のものだろう

計画のようなものに追われることなく、ゆっくりと進めたいものである



4月27日には、昨年と今年刊行した『免疫学者のパリ心景』と『免疫から哲学としての科学へ』には現代文明批判としての側面があるという記述がある

その骨子は次のようなものである

現代文明は科学を至高の位置に据え、そこから外れる思考を認めないところがある

事実の断片だけが空中に舞い、その全体が何を意味しているのか、その背後にどのような抽象的・普遍的なものがあるのかという思考には向かわなくなっている

つまり、考えることをしなくなっているのである

これをわたしが言うところの「意識の三層構造」に当て嵌めると、意識活動は第一層と第二層だけに留まり、全的で抽象的な思考が行われる第三層には至っていないことを示している

この点に関連して、井筒俊彦の分析が4月10日の記事に出ている

それによると、意識の表層に留まる活動を「自我」とし、無意識にまで及ぶ活動を「自己」としている

わたしの三層構造と対比すれば、「自我」は第一層での活動で、「自己」は無意識を含んでいるので、新たに無意識を第四層とし、それに第三層を加えた活動ということになるだろうか

井筒は自我と自己の乖離を現代に見ているようだが、その視点はわたしのものと繋がっている

このあたりを中心として、さらに考えを深めたいと思わせてくれる気付きであった











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