今年のブログを振り返るプロジェクト2日目になる
これまでに蓄積した問題を考え直すことによる精神の安定を昨日感じた
これは先日触れた「絶対的真理への道」とも関連する
まず、いろいろな事実を集めるが、そのうちにそれぞれの間に繋がりが見えてくる
その塊を一段上の新たな事実として纏めていく
この作業を繰り返していくと、最終的には最初にあった事実の全体のエキスのようなものが見えてくるのではないか
それをさらに高めたものをわたしが想像する絶対的真理として求めるというものだった
ブログに関するプロジェクトは、この過程の最初の段階に当たる
『免疫学者のパリ心景』は、「医学のあゆみ」のエッセイに関する第一段階の成果だったとも言える
このような試みを全活動について進めることが、これから重要になるだろう
という認識に至ったところで、第2回目に入りたい
1月、2月は春のカフェ/フォーラムの準備をしていた
始まる前からアナクシマンドロスの「アペイロン」に興味を持っていた様子がうかがわれる
ソクラテス以前の哲学者については、いずれ纏める必要があるだろう
また、2年ほど前に発見した科学の成果と哲学との関連があり、『免疫から哲学としての科学へ』の中でも触れた
年初に、その点についてもう少し掘り下げて論文にしてはどうかというアイディアが浮かび、手を付けたことが記されている
しかし、今に至るまで完成には至っていない
このまま消え去るのか、あるいは形になるのか
今年はまだ終わっていないので、もう少し様子を見てみたい
我々は相変わらずの戦争の世紀の中にいる
そんな中、闘争本能とそれを抑えることが期待される理性との関係について触れた記事が2つあった
前者は生物の本能のようなもので我々に埋め込まれているが、後者が働くためにはトレーニングが必要になる
それだけ闘争本能のコントロールは難しいのである
古代ギリシアの霊魂論には、「ヌース」(知性、理性)、「プネウマ」(気息、生命)、「プシュケー」(魂)の他に「テュモス」(気概・気持)がある
「テュモス」の実体は「知の沸騰」「激しい息遣い」とされ、荒々しい心の動きを指している
プラトンやアリストテレスは、「ヌース」を上位に置き「テュモス」はそれより下にあると考えた
現代の状況を考慮に入れ、理性が抑えるべき対象となる「テュモス」について見直してはどうかという流れがあるようだ
わたしも意識しておきたい点である
それから、「ピュシス」(自然)についての記述が1月だけ見ても散見された
これらは現ブログ「自然と生命を考える」への底流になっていた可能性がある
0 件のコメント:
コメントを投稿