2023年10月20日金曜日

今年のブログ活動(1)















パソコンの調子が悪くなり販売元に相談したところ、今日もリモートセッションとなった

1時間以上かかったが問題は解決されず

これからは不自由な状態のまま使い続けることになりそうだ


ブログの活動を見直す作業だが、一応、今年の分から始めることにした

2月までは前ブログ「二つの文化の間から」に書いてある

今年初めの3回は、昨年からのつづきでコリングウッドの自然観について書いている

これらは、今年の分が終わってから進むであろう昨年分の振り返りの際に取り上げるかもしれない


これまでにも触れているが、今年は年の初めにプロジェクトを決めることなく歩むことにした

その記述は前ブログの1月6日にある

年の初めの自分にその後の自分が縛られるのを嫌がったためだ

所謂仕事をするということは、決めたプロジェクトが実現するように自分を縛ることだが、それを忌避したということだろう

言い方を換えれば、その年のプロジェクトは年末に明らかになるという考え方の実行である

この考えは9年前のエッセイに書いたものになる

目的論は本当に科学の厄介者なのか、あるいは目的は最後に現れる(医学のあゆみ、2014.10.11)


プロジェクトに関する大きな枠組みの話が1月12日に出ている

それは、フランスに渡る前(2005~2007年)に書かれたエッセイを読んで生まれたものである

フランスで発見したと思っていたことは、実は退職前の数年間に気づいていたことをより深く、より明確にしたものであった

つまり、渡仏前に抱いていた疑問や問題などについては、一応の回答を得たようなのである

これからは、フランス滞在により生まれた新たな問題をどう解決していくのかについて考えなければならない

今年は年初から『免疫から哲学としての科学へ』の3月刊行に向けた準備に追われていた

この本は上記の問題に対する答えの一つになるのではないだろうか

また、昨年刊行した『免疫学者のパリ心景』も積年の問いに対する回答になっているはずである


これからに向けてのやり方として、1月16日の記事には次のようなことが書かれてある

滞仏中のように新しい荒野を彷徨い歩くことを止め、これまでの旅で蓄積したものを深く掘り進むことに徹してはどうか

そこにある「種」を大事に育てるように歩むべきではないのか

旅での蓄積が想像を超えていることを考えると、このやり方が理に適っているのかもしれない

取り組むべき問題は、すでに目の前にあるのである

暫くの間狩りは止めにして、一ところに留まり深掘りせよということなのだろうか

これを書きながら、今こうしてブログを振り返っていることも同じ志向性を持っているような気がしてきた

妙に気持ちが落ち着くのである


今日はこのくらいにしておきたい


 




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