これまでに、至高の真理(善のイデア)に至る方法として、プラトンは「弁証法」(ディアレクティケー)を唱えたことを知った
概念の背後には実体としてのイデアが潜んでいるので、どれかを選び、それについて精神を集中するとその実体が見えてくる
それを第一次イデアとし、そこから一段上のイデアを想定してさらに精神集中・観想することにより、第二次イデアとでも言うべきものが明らかになる
そして、この過程を繰り返すことにより「善のイデア」という至高のイデアに到達するというのが、プラトンの弁証法であった
これを知った時、6年前に「医学のあゆみ」のエッセイに纏めた「絶対的真理への道」のことを思い出した
絶対的真理への道、その第一歩はあらゆる生の経験を意識することか(2017.11.11)
科学の領域に身を置いている時、「絶対的」という言葉はわたしの辞書にはなかった
哲学に入ってからも、この言葉を使うことに暫くの間、強い抵抗があったのである
しかし、このエッセイを書いた頃にはその抵抗感は弱まりつつあったが、消えてはいなかった
そして、手が届きそうもないが、いずれ見えてくるかもしれない「絶対的真理」なるものを想定して、下図のような想像をしたのである
Bは、いろいろな事実を集めた上で、論理的に導き出された一段上の限られた数の真理に至り、そこから論理を超えた飛躍によって絶対的真理に辿り着く場合で、これがわたしが歩もうとした道であった
これを想像した時期は連載エッセイを書き始めから5-6年、カフェ/フォーラムの活動を始めてからも同じくらいの時が経過した頃であった
今この図を見直すと、一番下にある「事実」としたものは、井筒の説明にある「第一次イデア」「下位のイデア」に当たると考えてもよいだろう
その頃までにはこのような事実(第一次イデア)が蓄積し、しかもその中に繋がりが見えてくるという経験をしていた
つまり、最下位のイデアの中に塊を作るものが現れ、そこからさらに上位のイデアに向かうことができるのではないかと感じさせたのである
そのため、この過程を繰り返して歩めば、より高位のレベルに達することができるのではないかということで、上図Bの道を想定したのであった
この時の考えは今も変わらず、その方向性で歩んでいるとも言えるだろう
ただ、現在どの段階にあるのか、この先どのような景色が現れるのか、ということに関しては全く分からない
言えることはおそらく、この道以外に行く道なし、ということではないだろうか
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