2023年10月15日日曜日

井筒俊彦のプラトン(13)「死の道」(4)

































「死の道」に関する最後の記述は、これまでのまとめになっている

井筒の文章は、理系の人間から見ると少々くどい印象が拭えない

一つの主張をするために、多くの側面から、いろいろな表現を使いながら進めるところがある

もう分かったと言いたいところだが、なかなか手を緩めてくれない

そこまでやらなければ理解されないと考えているのだろうか

あるいは、それが文学的表現ということになるのだろうか



それではまとめに入りたい

人間の霊魂が地上に堕して肉体に宿る前、天上にあって観照したイデア界の光景を覚えている

プラトンミュトスによれば、すべての霊魂は一人の馭者に御される二頭立ての馬車に譬えられている

神々の馬車は何の困難もなく飛翔するが、脆弱な霊魂を持つ人間の馬車は上昇できず、後に地に堕ちて人間の肉体に宿ることになる

最大の難所は天空の外側に出るところで、「天の彼方なる場所」に辿り着いた時、正義それ自体、節制それ自体、知識それ自体などを目にするという

もちろん、それが可能なのは神々の馭者ということである

このように、肉体と結合する前の体験を霊魂が記憶していれば、自己の内面に深く入ることにより真理に逢着できるはずである

死の道は真実在の認識に至らんとする内向的体験道であり、エロスの道、弁証法の道は絶対者認識に至る外向的体験道ということになる

後にルドルフ・オットーは神秘主義を2つに分けて考えているが、それはプラトンにおいて既に確立されているとしている

1つは神を魂の深奥に求める「霊魂・神秘主義」であり、もう一つは神を絶対超越者として無限の彼方に尋ねる「神・神秘主義」であった

内向の道と外向の道は表面上は対照的に見えるが、本質的には同一の道であり、最後には同じ処に到達するのである

(了)



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非常に充実した読みになったと感じている

これまでのわたしの歩みがプラトンの理論との関連で理解できるようになったことも非常に大きかった

これは想像もしていなかったことである

これからもこのような想定外の出会いがあることを願っている











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