本日は、井筒俊彦による「エロスの道」を読みたい
純粋観想によりイデアに至るのではなく、概念を介して叡智界全体を把握する方法をプラトンは考えた
そうすると、本来イデアとされたもの以外の卑賎、邪悪なものにもイデアが存在することを確認することになった
存在論的にはそれぞれのイデアに差はないのだが、体験的主体にとっては優劣が生まれるのである
イデアの頂点を究めんと欲する者は、イデアの中から適切なものを選択して、そこに繋がる連鎖(階段)を上昇しなければならない
プラトンが指摘するのは「真」「美」「智」などの愛に値するイデア系列であるが、特に「美」のイデア系列を重要視している
この世のものとも思えぬ美的体験こそ、プラトン的美の秘儀へのイニシエーションなのである
他のイデアも叡智界では燦然と輝いているのだが、地上の感性界に降りるとその輝きは弱まる
しかし、美のイデアに関しては地上でも輝きを失わず、これに触れるやいなや忘れていた先住の家を思い出し、焦燥の思いに燃える
ここに、地上の美から永遠の「美」へ、「美」の本体へのエロスの飛翔が始まる
これがプラトンの「エロスの道」なのである
エロスの道は、これまで見てきた弁証法の道と目的、構造の面で完全に一致している
違うのは、弁証法が一般的で抽象的なものに向かうのに対し、エロスの道は特殊性と具体性を持ち、経験的に限定されているものに向かうという点だけである
プラトン的愛の体験道は道の奥に至ると深い宗教的敬虔の雰囲気に包まれ、哲学は絶対美を本体とする崇高な秘儀宗教として構想されているという
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