これまでは、生の肯定、現実世界の芸術的肯定を問いた『饗宴』をもとに考えてきた
しかし今日は、生の否定、現実世界の宗教的否定が基調にある『パイドン』について繙いてみたい
一見すると対照的な愛と死の道であるが、実は両者は究極においてイデアへの同一の道なのである
エロスの道は、一つの肉体から二つの肉体へ、そこからあらゆる肉体へ、肉体から事業へ、事業から知識へと登り行く霊魂上昇の階段であった
この過程は霊魂の浄化であり、各段階は旧き自己の死を経て新しい自己に生まれ変わる死生に他ならなかった
現実世界の肯定に安住し、死を経ることのない人間精神には、神秘主義も宗教も生まれる余地がない
感性的世界の外に超感性的世界が実在し、感性界を一度否定することなくしては超越的実在の世界には逢着し得ないのである
またその自覚なくして、宗教も神秘主義も不可能なのである
プラトンにとって「哲学する」とは真理の認識であり、そのためには感性界の影響を絶ち、肉体が死に行く過程が不可欠であった
肉体から見ると、霊魂は肉体に活力を与え、それがなくなると肉体は朽ちて行く
一方霊魂から見ると、肉体と結合している間は一時的な死の状態に陥っている
なぜなら、霊魂の生は純粋知性の認識能力の発動の内であり、肉体から来る感性による認識や感情が霊魂本来の機能を阻害するからである
したがって、人間が真にその名に値する生を生きるためには、霊魂が肉体から解放されなければならない
プラトンによる哲人の「死の修練」は、肉体に死を与え、霊魂に生きようとする道の実践であり、そのことによってより高い生命を獲得しようとする「生の修練」だという
もしそうだとすると、霊魂が肉体と完全に分離する死を経た後でなければ超越的真実在を観ることはできないことになる
現世に在る時にできることはそのための準備であり、それが不十分な時には神的世界に昇ることはできない
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『パイドン』を読んだ時のエッセイがあるので、以下に貼り付けておきたい
もう5年以上前のことになる
プラトンの『パイドン』、あるいは魂の永遠を考える(2018.3.19)
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