2025年12月31日水曜日
2025年の大晦日に
2025年12月30日火曜日
ミシェル・アンバシェ『自然の哲学』を読む(22)
私は自分の感覚を信じ、諸事物を見出すように放置しておくだけの単純な、ごくありふれたタイプの人間です。私の意見を率直に申し上げれば、実在的事物というのは私が感覚によって見、触れ、知覚する事物そのものです。
2025年12月29日月曜日
2025年を振り返る
今年も残り数日となってきた
この機会に今年を簡単に振り返っておくことにしたい
今年もサイファイカフェ/フォーラムの開催を軸に、年来のテーマについて考えていた。その過程で気づいたことがある。その一つが、東京の研究所で研究していた時間とパリで始まった全的観想生活の時間が同じになっていたことである。これは全く想像できなかったことで、研究生活がそんなに短かったのかという感慨と、観想生活をそんなに長い間やっていたのかという驚きが交錯している。
これは先月上梓したばかりの『生き方としての哲学:より深い幸福へ――アドー、コンシュ、バディウと考える』でも触れているが、観想生活に入ってからの時間の捉え方がそれ以前とは全く異なっていることと関係があるのではないかと思っている。具体的に言えば、観想生活の全体を常に抱えながら歩んでいるという感覚があるため、時の流れを感じなくなっているのである。詳細は近著に当たっていただければ幸いである。
今年も年初には想像もできない展開があった。以下に簡単にまとめてみたい。
1)ISHE出版の立ち上げと『生き方としての哲学: より深い幸福へ――アドー、コンシュ、バディウと考える』の刊行
サイファイ研究所ISHEを創設してからすでに10年以上が経過している。その営みから見えてきた思想の種子を発表するための活動として「ISHE出版」を始めることにした。その考えに至ったのは、キンドルダイレクトパブリッシング(KDP)という自己出版のシステム(自費出版とは異なり費用がかからない)があることを知ったからであった。この「民主的な」プラットフォームがなければ、以下の刊行はなかったであろう。その第1作は、フランス語のテクストを読み議論する「ベルクソンカフェ」の内容をまとめたエセー『生き方としての哲学: より深い幸福へ――アドー、コンシュ、バディウと考える』で、11月上旬に刊行された。
ここで紹介されている古代ギリシアから現代に至る思想の中に、我々の人生において参考になることが含まれていると同時に、サイファイ研究所ISHEのミッションとも深く関わるテーマが現れていることに驚いている。また、この本はマルセル・コンシュについての論考が含まれている本邦初のものになると思われる。個人的には、3人の哲学者を改めて振り返ることにより、彼らの哲学の入り口に立ったという感覚があり、これからその中に入っていきたいと思いが湧いてきた。
本書は120ページほどの小冊子なので、お手に取ってお読みいただければ幸いである。これからもサイファイ研究所ISHEの活動の中に埋もれている思索のための種子を紹介していく予定である。この活動へのご理解とご支援をいただければ幸いである。
2) マルセル・コンシュのMétaphysique(『形而上学』)の翻訳
マルセル・コンシュ(1922~2022)は日本ではほぼ無名で、コンシュについて語っているのはわたし以外には見られないという状態にある。それにもかかわらず彼の『形而上学』という著作を翻訳しようと思ったのは、コンシュがわたしにとって最初にフランス語で語り掛けてきた哲学者であり、次のような因縁もあったからである。
実は、フランス滞在時に形而上学という営みについてお話を伺おうと思い、手紙を出したことがある。返信は期待していなかったが、彼の著書『形而上学』を読んでから話をしようとの回答があった。しかし、他のプロジェクトもありなかなか手に付かず、そうこうしているうちに亡くなられてしまった。
このような背景のもと、昨年末から素訳を始め、今年の中頃から校正をしていた。一通り読み終わった今であれば意味のあるランデブーになったのではないかと思うと、残念である。いずれにせよ、『形而上学』は刊行にまで持っていきたいとは思っているが、どのようなことになるのかはまだ分からない。
3)サイファイカフェ/フォーラムの開催
今年もカフェ/フォーラムを継続することができた。また新たな試みとして、哲学者を招いて生命倫理に関する問題を考える「サイファイ対話CoELP」(Conversations on Ethics of Life with Philosophers)を秋から始めた。サイトにもあるように、中澤栄輔先生に講師の任を快諾していただいたことで、このプロジェクトが動き出すことができた。会も盛会のうちに終わり、来年も開催に向けて検討することになる。
最近、カフェ/フォーラムのまとめ方に変化が見られるので一言だけ。以前は、内容をその日のうちに一気にまとめる傾向があった。しかし最近では、会の流れをたどりながら、個々の事実をじっくり味わい、瞑想しながらまとめるようになっている。その会の内容を伝えるだけではなく、そこから派生する問題についても考えを巡らせる余裕が出てくるので、長い目で見ればよい効果を及ぼすのではないかと期待している。
以下に今年の活動を列記しておきたい。それぞれの扉を開けると、そこには奥深い世界が広がっているはずである。お楽しみいただくと同時に、今後も末永くご支援いただければ幸いである。
春のカフェ/フォーラム
◉ 2025年3月4日(火)第11回ベルクソンカフェ
テーマ: マルセル・コンシュの哲学――2006年のインタビュー記事を読む
◉ 2025年3月6日(木)第12回カフェフィロPAWL
テーマ: 『免疫学者のパリ心景』を読むvol. 1――なぜフランスで哲学だったのか――
ファシリテーター: 岩永勇二(医歯薬出版)
◉ 2025年3月8日(土)第13回サイファイフォーラムFPSS
(1) 矢倉英隆: シリーズ「科学と哲学」⑦ プラトンの宇宙観
(2) 細井宏一: 人文科学と自然科学の間にあるサイエンス ~考えるということ~ ——啓示か、観察か、それとも・・・——
(3) 岩倉洋一郎: 科学は自らの発展を制御できるのか?
◉ 2025年3月14日(金)第20回サイファイカフェSHE
テーマ: 『免疫から哲学としての科学へ』を読む(2)自己を認識し、他者を受け容れる
◉ 2025年4月12日(土)第13回サイファイカフェSHE 札幌
テーマ: 『免疫から哲学としての科学へ』を読む(1)免疫の理論史
夏のカフェ/フォーラム
◉ 2025年7月9日(水)第21回サイファイカフェSHE
シリーズ『免疫から哲学としての科学へ』を読む(3)オーガニズム・レベルと生物界における免疫
◉ 2025年7月12日(土)第14回サイファイフォーラムFPSS
プログラム
(1)矢倉英隆: シリーズ「科学と哲学」⑧ プラトンと医学
(2)武田克彦: 神経心理学の方法
(3)市川 洋:社会の中の科学と科学コミュニケーション
◉ 2025年8月2日(土)第14回サイファイカフェSHE 札幌
シリーズ『免疫から哲学としての科学へ』を読む(2)仮説、自己免疫、共生
秋のカフェ/フォーラム
◉ 2025年10月18日(土)第15回サイファイカフェSHE 札幌
『免疫から哲学としての科学へ』を読む(3)オーガニズム・レベルと生物界における免疫を見渡す
◉ 2025年11月5日(水)第12回ベルクソンカフェ
マルセル・コンシュの哲学(2)『形而上学』の「まえがき」と「プロローグ」を読む
◉ 2025年11月8日(土)第15回サイファイフォーラムFPSS
(1)矢倉英隆: シリーズ「科学と哲学」⑨ カール・ポパーによるプラトン批判
(2)尾内達也: 時間と空間についてのT-N-S理論
(3)久永眞一: 妄想と幻覚の正体?
◉ 2025年11月12日(水)第13回カフェフィロPAWL
『免疫学者のパリ心景』を読む(2)この旅で出会った哲学者とその哲学
ファシリテーター: 岩永勇二(医歯薬出版)
◉ 2025年11月14日(水)第22回サイファイカフェSHE
『免疫から哲学としての科学へ』を読む(4)免疫の形而上学
◉ 2025年12月6日(土)第1回サイファイ対話CoELP(哲学者との生命倫理対話)
講師: 中澤栄輔(東京大学)
生命倫理の問題を考える――いのちの終わりの倫理
4)上の記録から分るように、今年のSHEでは1年間に亘り、拙著『免疫から哲学としての科学へ』の読書会が行われた。2年前の著作を読み直すことで、この本が提起している根源的な問いが改めて迫ってきた。最終章のタイトルが示している通り、「新しい生の哲学に向けて」どのように歩むのか。来るべき年の課題になりそうである。
5)今年のPAWLにおいては、編集者の岩永勇二氏(医歯薬出版)をファシリテーターとして、3年前の著作『免疫学者のパリ心景』の朗読会が開かれた。この過程で、2007年からの全的観想生活に至る小さな「出来事」の連なりを再確認すると同時に、それがバディウの言う真理に導く「出来事」に当たることを改めて意識することになった。この点については『生き方としての哲学:より深い幸福へ――アドー、コンシュ、バディウと考える』でも触れている。
さらに、始原に本質があるとすれば、そこに哲学の本質があると思われる古代ギリシアの哲学に当初から惹かれていたことも明確になってきた。『免疫から哲学としての科学へ』でも感じたが、わたしの中に本質に対する志向性があるのかもしれない。ギリシアの哲学については、今後の新たな思索対象となりそうである。
2年前から、その年のプロジェクトを年初に決めるのではなく、年末に振り返った時に見えてきたものがプロジェクトであるという考え方で歩み始めた。わたしのフォルミュールで言えば、「目的は最後に現われる」のである。そして本年もまた、より豊かなものをもたらしてくれたことを改めて確認している。その年を縛りのないインプロヴィゼーションの中で過ごすことができるからではないかと考えている。これは科学の分野にいた時には採用できなかったものだが、これからもこのやり方で歩むことになるだろう。
2025年12月28日日曜日
ミシェル・アンバシェ『自然の哲学』を読む(21)
2025年12月27日土曜日
ミシェル・アンバシェ『自然の哲学』を読む(20)
私は現代人に理ありとすることにかけてはいささかもやぶさかではないが、私の見るかぎり、彼らはあまりにも遠くへ改革をおしすすめたために、自然の尊厳について十分に偉大な観念をもたなかった」
ジョージ・バークリー(1685-1753)も、数学者と物理学者の抽象的な合理主義に対して敵意を隠さず、 知覚の感覚的・直観的所与を自然の本当の言葉を生むべきものと解釈している
ベルクソン(1859-1941)は、当時けなされていた「自然の哲学」の代わりに「形而上学」という言葉を使っているが、本当の方向性は「自然の哲学」にあったとされている
2025年12月26日金曜日
ミシェル・アンバシェ『自然の哲学』を読む(19)
2025年12月25日木曜日
ミシェル・アンバシェ『自然の哲学』を読む(18)
あらゆる種類の現象に関して二種類の自然科学を区別しなければならない。一つは抽象的・一般的なもので、考えうるすべての場合を考慮して、様々な段階の現象を支配している法則の発見を目的とする。 もう一つは個別的・具体的・記述的で、ときには厳密な意味における自然科学の名をもって呼ばれるものであるが、その法則をいろいろな存在者の事実上の歴史に適用する。
つまりコントによれば、科学の哲学が注目するのは第一のカテゴリーの法則だけであり、自然科学はその法則をもとに個別の事象の解明に当たるということだろうか
コントの科学の哲学は、自然を機械に還元するデカルト(1596-1650)の理想に与するものではない
科学の哲学は、自然の多様性については遥かに意識的で、それぞれの基礎的学問に自然の一領域を帰属させている
そのため、科学の哲学が最上位にあり、他の領域による侵入を恐れる必要がなくなる
ところで、コントは単純なものから複雑なものへと絶えず取り組んでゆかねばならないという考えに反発している
生理学や社会学のような科学においては、全体から諸部分へ向かう方が適していると考えているようなのである
数学者がいたるところで分析と抽象を繰り返す百科全書的体系の主権を取り上げ、それを社会学者に委ねようとする
2025年12月24日水曜日
ミシェル・アンバシェ『自然の哲学』を読む(17)
2025年12月23日火曜日
ミシェル・アンバシェ『自然の哲学』を読む(16)
生命力は、それが産出しない現象を支配するもので、物理的動因は、それが支配しない現象を産出するものである
2025年12月22日月曜日
ミシェル・アンバシェ『自然の哲学』を読む(15)
クロード・ベルナール(1813-1878)が生気論を攻撃した時に使った論理と同じである
こうして、自然と機械論が合体され、世界の物理化が進むことになる
2025年12月21日日曜日
ミシェル・アンバシェ『自然の哲学』を読む(14)
自然は一つの事物ではない。なぜなら、この事物はすべてであろうから。自然は一つの存在ではない。なぜなら、この存在は神であろうから。むしろ自然は、すべてを抱擁し、すべてに生命をあたえ、第一存在の力にしたがいながらその秩序によってしか動きはじめず、またその協力と同意によってしか行動しない生きた巨大な力である、と考えることができる。
2025年12月11日木曜日
免疫理解をもう一歩前に進めることができるのか
2025年12月8日月曜日
自然に溶け込み、いまここを味わう
今日は午後から古い友人と突然のお茶となった
なぜかいつも二転三転して場所と時間が決まる
秋のカフェ/フォーラムシリーズも終わり、ゆったりした気分での語らいとなった
いろいろな話題が出ていたようだが、特にAIの話に盛り上がりを見せた
夜、Youtubeに行くと、上のビデオが流れてきた
そこで語られていることは、古代ギリシアの哲人たちの考えとも重なる
拙著『生き方としての哲学:より深い幸福へ――アドー、コンシュ、バディウと考える』にもあるように、わたしの考えも同じところに収斂しつつある
年の瀬を迎え、気持ちが穏やかになっているせいか、自然に中に入ってきた
2025年12月7日日曜日
スートゥナンスから丁度10年目の朝
2025年12月6日土曜日
サイファイ対話CoELP(哲学者との生命倫理対話)、盛会のうちに船出する
2025年12月1日月曜日
今日から師走、そこに何が詰まっているのか
2025年11月30日日曜日
仙台で旧交を温め、『生き方としての哲学:より深い幸福へ』を人生の指針に
上の記事を書き終わった後、自己との対話に関連することを以前に書いていたことを思い出した
以下に貼り付けておきたい
静寂と沈黙の時間、あるいは自己を自己たらしめるもの.医学のあゆみ 266: 184-187, 2018
ここには当日話題になったもう一つの問題に関連することも取り上げられていた
人生の最終盤に襲ってくる悔恨の念についてである
これほど今回の会食の話題に相応しいエセーもないだろう
是非一度お読みいただければ幸いである
2025年11月29日土曜日
再び広漠たる世界が現れる
2025年11月25日火曜日
恒例の学友との会食
2025年11月20日木曜日
シオラン届く
2025年11月17日月曜日
エミール・シオランが15年振りに蘇る
先週のカフェフィロPAWLで話題になったエミール・シオラン(1911-1995)
その時、これからのカフェで話題にしても面白いのではないかというアイディアが浮かんだ
今朝、シオランと自分との関係を調べる意味で、ブログ記事に当たってみた
始める前は、2つ前くらいのブログにあるのではないかと思い探したが、予想は外れた
何と最初のブログに最初の記事(2006年8月4日)があったのである
よくよく思い返してみれば、そしてPAWLで紹介したエピソードを考えれば、それは当然のことなのかもしれない
フランスに渡る前にフランス人からこの哲学者の名前を聞き、興奮したと思われるからだ
その興奮がフランスでも残っていたのだろう
2010年秋までは折に触れて何かを書いている
しかし、それ以降記事は見られない
と思ったのだが、今年の6月に蘇っており、「シオランをパスカルのように読んでみたい」などとこのブログに書いている
いずれにせよ、今年15年振りに蘇ったことになる
この機会にお付き合いを再開してもよいのではないか
そんな気分になっている週の始めである
これなどもバディウの言う「出来事」に当たるのだろう
それは真理への扉であったが、この出来事はどんな真理に導いてくれるのだろうか
ところで、今日の写真は2008年10月26日の記事で使ったもので、懐かしい
2025年11月15日土曜日
イーロン・マスクが語る古代ギリシア哲学
秋のカフェ/フォーラムがひと段落して、少しのんびりできるようになった
Youtubeに行くと、わたしの辞書にはなかったイーロン・マスクが並んでいる
マスクに触れるのは初めてではないだろうか
そして、その話を聞いて驚いたのである
それが、わたしの考え、そしてわたしが体得したことと完全に重なっていたからである
それは新しいことではなく、古代ギリシアの哲学が教えていること、そのものなのである
それを実践することにより、時間はかかるが、確かにマスクが言っている境地に入ることができる
と、わたしは保証できる
それにしても、こんなところでつながってくるとは思わなかった
驚きの週末である























