2025年6月5日木曜日

久し振りにシオランの魂に触れる




寝る前にYoutubeを覗くと、懐かしい名前が出ていた

エミール・シオラン(1911 - 1995)

この名前を知ったのはフランスに渡る前年の2006年夏

フランス語を始めて5年目、東京で知り合ったフランス人との会話の中でのことであった

その経過は、最初のブログ「フランスに揺られながら」に残っている

 エミール・シオラン EMIL MICHEL CIORAN(2006-08-04)


久し振りに見てみることにした

これはその昔にも見たような気がする

この雰囲気がいかにもフランスものという感じで、フランスの世界に入ってからしばらくの間は強い違和感を覚えていた

しかし、ある時を境に、自分の中で思索を刺激しているのに気づくことになった

このところ離れていたので、新鮮であった

このフィルムにあった言葉で印象に残ったことを記憶を頼りにメモしておきたい


ルーマニアからドイツを経てフランスに入り、ソルボンヌに登録したが、彼は人生の最後までその状態でいたかったと言っている

わたし自身、大学院生の時はそうできれば最高だと思っていたので、よく分かるという感じだろうか


幸福などあり得ない


人生に意味などないということが、唯一の生きる理由である


書くということは垂直の対話、神と会話することだという

孤独なもの同士の会話、神は自分よりずっと孤独だろうが 

 

必要性の欠如(文學など)

 

パリでは30年間本が売れず、無名だった 

当時、200~300冊しか売れなかったものが、今一番読まれているという


祖国とは言語である

 

わたしは矛盾の中で生きてきたが、何の苦痛も感じなかった

もし体系的な人間だったら理由付けをしなければならないので、嘘をつかなければならなかっただろう 

 

また読みたくなってきた







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