今日も過去に戻ってみたい
19年前の「フランスに揺られながら」から
走りながら生きていた30年ほど前、日常との断裂が生まれた、おそらくアメリカ出張の折に読んだ本から考えが巡っている
つまり、20年ほど前にその10年前のことを思い出して書いたお話になる
現在につながる糸が見える記事である
以下に転載したい
2006-12-05
先日の夜、何気なく古い本棚を眺めていた
この本棚に詰まっている本は、私が謂わば走っている時に買ったものばかりで、いつどこで買ったものかほとんど記憶に残っていない
私にとっては味気のない本棚である
その中の一冊を手に取ってみた
その心は、新聞を開く時の気持ちに近い
以前にも触れたことがあるが、私にとっての新聞はびっくり箱のようなもの
いつもその中から何が飛び出すのか期待して紙をめくっている
今回は、この本を最初に見た時の自分がどんな存在だったのか、当時の私に会えるのではないかという期待感もあった
本は James Redfield という人の The Celestine Vision(1997年10月の初版)
まず驚いたのは、ページの端をよく折ってあること
読んだ記憶などほとんどないが、その時何かをやっている自分がいたということを確認する
いつどこで買ったのかというメモはない
この時期はほとんどそれをやっていない
どこに行き着くのか気にもせず、とにかく流れに身を任せていたのだからしようがない
そのことは当時でも意識していた
中に思いがけずしおりが入っていた
Iowa City の Prairie Lights という本屋のもの
出張で出かけた時に買ったもののようだ
おそらく向こうで気分にまかせてページをめくってそのままにしていた可能性が高い
内容のトーンは科学的、理性的なものの見方に偏りすぎてもっと大きなものに目が行っていない状態から、より霊的なものに目をやり、それを意識することにより人生の意味や宇宙におけるミッションを発見できるのではないか、というようなもの
そのためには、著者の言う "drift time" が必要になるという
要するに閑な時間がなければそこまで目がいかないということで、これはよく理解できる
理と信の対比と理から信へのお誘いが狙いの本だろうか
当時よくこの手の本を買ったものだと感心する
胡散臭いと思っていたはずだから
その初めの方で、coincidence「偶然の一致」について書かれている
それは偶然ではないのですよと言いたいようでもある
私も最近いろいろなもの(出来事)の間でのつながりを見つけようとする精神の動きを感じているので、妙に納得するところがあった
そういう目で見ていて不思議なつながりに出会えば、大きな存在について考えるようなことになるのかもしれない
いずれにしても、毎日何が出てくるのか、それがどういう意味(何かとのつながり)があるのかについて思いを巡らせながら生きていくのも面白そうである
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