この本の初版は1921(大正10)年なので、ほぼ1世紀前のものである
解説には何とも懐かしい名前が出てくる
わたしが若き日に触れたものだけを以下に書き出しておきたい
ここでは、著者の出隆がどのような人物だったのかを書いている部分に注目したい
出隆の専門はアリストテレス研究だった
手元にあるものを見直せば、出の名前がそこにある
今道が東京帝国大学文学部哲学科に入学した1945年、出は哲学哲学史第一講座を担当していた
その講義は聴き取りにくい声でノートを読み上げるものだったようだ
わたしも文系に入り、体験したことである
出の前期はキリスト教の信仰(プロテスタント)で貫かれ、教会では牧師に代わって説教をすることもあったという
さらに1948年には共産党に入党
その背景には、出のコスモポリタニズムへの傾倒と、国家主義への拒否反応があったと今道は見ている
この傾向がキリスト教にも導いたと思われるが、第二次大戦中、キリスト教会はナチスに反対することもなかったし、米国が原子爆弾による大量殺人を行っても有効な反応を示すことはなかった
これらが原因でキリスト教に絶望し、新しい実践の場を唯物論哲学と共産党に求めたと推測している
定年2年前の1951年3月には東大教授を辞職
翌月の東京都知事選立候補のためであった
今道は激論を交わして辞意撤回を迫ったというが、「無謀な」決断が翻ることはなかった
選挙には大敗し、出の理想主義的国際路線は共産党の容れるところとはならず、1964年には除名処分を受ける
それからの道は苦難の連続だったと思われるが、哲学の研鑽は最後まで続けた
そして1980年、阿佐ヶ谷の病院で息を引き取った
享年89
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