ただ、前回の「科学的立場における実在と真理」のつづきから再開しようとしたが、現象界に身を置いていたためか、なかなかその議論の中に入っていけない
現象界から見ると、どうでもよい議論に見えてくるのである
同様に、わたしが日頃語っていることも似たようなものかもしれないという疑念が湧いてくる
それだけ現象界とイデア界との乖離は大きいということだろう
いずれにせよ、「科学的立場における実在と真理」の後半はスキップして、その先の芸術と宗教の問題に進むことにしたい
これまで見てきた科学的立場に立つということは、一つの立場に立つ以前の純粋な経験を反省的に統一する段階に立つことである
それは知るとか考えることになるが、さらに言えば、分かつこと限定することだと著者は言う
これに対する芸術や宗教には感じるという要素があり、対象と合致、融合することである
すなわち、芸術は自らの絶対肯定(創造)であり、科学は自らの反省すなわち否定(実現)であり、宗教は否定の否定としての大肯定(復帰)であると言う
真の芸術的態度は、純なる直接的活動である
主体が対象を見聴きするのではなく(そこでは主客が分離している)、主客未剖の境における直接的活動であり、そこでは直観が働いている
自らの内なる純粋感情を直知する純粋知覚の立場に立つことであり、その活動は自らを反省するのではなく、自らの内なる現状そのままを肯定して前に進むものである
芸術家は表現することにより、直ちに見、聴き、創造する
そこで創造的に表現された真理を美と呼ぶのである
それでは宗教的態度とはいかなるものであろうか
これは聖なるもの、絶対唯一の最高実在としての神に関わるものである
芸術的実在が多元的、個別的であるのに対し、宗教的実在は普遍的であり唯一絶対であると考えられている
宗教的自覚とは、科学的自覚をさらに自覚することだという
宗教的態度と現実生活との関係は、芸術的直観の態度とは正反対である
すなわち、芸術的直観は現実的・自然的なるもの、個人的・肉体的なるもののうちにもその直下に内在する美を直観する
それに対して、宗教的生活では現実的なる存在を否定することにより、彼岸に真実在(神)を捉えようと努める
それゆえ、「自然即神」とする汎神論は宗教的と言うより芸術的世界観だと著者は見ている
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