昨日の『若き人々へ』から「自伝素描」を読んでみたい
そこには若き日に感じたであろう言葉が溢れていると想像されるからである
このような偶然でもなければ、最早手に取ることもないであろう本だからである
ここでは、気になった文章を時にアレンジしながら書き出すことにしたい
生まれつき私は子羊のようなたちで、シャボン玉のようになびきやすいのであるが、おきてとなると、どんな種類のものであろうと、特に少年時代には、それに対し、いつもつむじ曲がりな態度をとった。「なんじは・・・すべし」というのを聞いただけで、私の心はすっかりそっぽを向き、私はかたくなになった。
十三の年から私には、自分は詩人になるか、でなければ何にもならないという一事が明らかになった。(他の職業にはそこへ道があったが)詩人にだけは、それが存在しなかった!・・・彼らは過去の世界ではさん然と輝いていた。だが、現在と現実の世界では、人々は彼らに敵意を抱いていた。
過去のもの、歴史、古いもの、非常に古いものに対して、絶えず関係を持つことが始めて、精神生活を可能にすることを、気づいた。
私は戦争中、スイスの首府ベルンで暮らしていた。それは、ドイツと中立国と敵との外交の真っただ中にあり、外交官や政治上の密使やスパイやジャーナリストや買占め人や密売者ばかりで、人口過剰になった町であった。・・・しかも、そういうものについて戦争中を通じ、私は全然気づかずにいた!
私に対する世人の非難は、私には現実に対する感覚がない、ということである。 私には、現実に対する尊敬が実際かけている。現実は、最も意に介するにあたらないものだと、私は思う。・・・なぜなら現実は偶然であり、生活のくずであるからである。
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