2023年9月18日月曜日

ハイデガーによる思考とは(3)














今日もハイデガーを続けたい

思考ができるためには、それを学ばなければならない

考えるべきことに我々の心を向けることによって、我々は考えることを学ぶのである

最も思考を誘発するものとは何なのか

それは我々がまだ考えていないということである

世界は益々思考を誘発するようになっているのにである

このような時には国際会議や学会などで講演したりするのではなく、すぐに行動すべきだとの声が聞こえる

欠けているのは思考ではなく、行動だと言うのである

しかし人間は長い間、多くの行動をしてきたが、余りにも思考してこなかった

ただ、至るところで哲学に対する興味が示されるようになっている現在、人間はまだ考えていないなどとどうして言えるのか

哲学者というのは卓越した思想家である

哲学において思考が適切に行われているので、彼らはそう呼ばれる

今日、哲学に対する興味が示されていることを否定する人はいないだろう

しかし興味とは何をいうのか

それは「ものこと」の中心に在り、在り続けるということである

しかし今日の興味は、関心をそそる、面白い場合にかぎりそう認めるもので、次の瞬間には無関心になり得るのである

人々が哲学に興味を示すということは、考える準備ができたという証拠にはならない

もちろん、哲学史の立派な研究もされていて有用なのだが、それにしても我々が考えていることを保証するものではない

逆に、哲学に没頭していることが我々に考えているという幻想を与えているのである


ここで、思考を誘発する時代において最も思考を誘発するのは、我々がまだ考えていないということである、という奇妙な主張を再検討したい

思考を誘発するとは、我々を考えさせることである

思考を誘発するものとは我々が決めたもの、設定したものではなく、それ自体が我々に考えさせるもののことである

本質的に考えなければならないことについて、我々はまだ考えていないということなのである

それは思考の遅さや遅れあるいは無視が原因で治療可能なものなどではない

考えなければならないことは、人間からずっと前に離れて行ったのである

それはいつからのことなのか

特定の出来事があったのか

そうではなく、初めから離れて行ったのである

しかし、現代において人類は常に思考してきたし、記憶に残る深い思考もされてきた

ただそれは、科学知を生み出す思考とも言えるもので、ここで議論する思考とは何の関係もない








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