2023年9月7日木曜日

出隆の「芸術及び宗教と絶対界」(2)




























今日はトンボの群が飛び回っている

去年より背が伸びたススキの穂が左右前後に激しく揺れている

風を浴びて嬉しそうだ

暑いのだが、秋に向かう景色である

その景色の余韻を味わいながら、昨日のつづきを始めたい



著者の言う宗教的生活とは、倫理的苦闘であり、地上の罪人としての自責であり、自らを聖化しようとする焦慮だという

また、現実の知識界にいる悶えから脱却しようとする努力だともいう

そして、そのような努力・戦いを命じたのは我々を超えた超人間的なものだという

宗教的態度における純我(純粋思惟の立場にある)においては、自らの悩みを意識し、それを否定しようとする

それは、否定態(悩みを意識していることを言うのか)をさらに否定しようとする純我であり、主客未剖の純我に帰ろうとする純我の努力である

その境地は主客合一・自他融合・無我であり、一切衆生の悩みを摂取抱擁した仏であり、万人を平等に愛する神だという

真の宗教的生活においては、我と神との間にいささかの間隙を許さず、帰依や求めや祈りもあり得ない

それは神の生活という言葉も絶した絶対者の生活である

ただ自らを見、自らを愛する絶対肯定の生活である

主客相即・自他不離の境において一切は、超神的な純愛のうちに融合統一する四海同胞なのである

神と悪魔が合体し、美と醜が抱擁し、愛と憎しみ、必然と自由も融合する

超価値的絶対界である

超美、超善、超真の絶対的太陽が現れるのである

しかし、我々の中には真偽・善悪・美醜などの価値を付け、優れた価値を追求する努力が働いている

これは厳然とした事実である

理想として超価値的絶対界が想定されるがゆえに、我々の価値追及の努力を無視するとしたらどうであろうか

論理的良心、倫理的良心、芸術的良心、宗教的良心などを高めようとする努力を蔑ろにするとしたらどうなるであろうか














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