2026年9月10日木曜日
秋が静かに進んでいる
2026年9月8日火曜日
リドリー・スコットの「ラスト・サバイバー」を観る
2026年9月6日日曜日
コンシュ『形而上学』の念校を終える
昨日から、コンシュ『形而上学』の索引の検討と本文の読み直しに当たっていた
先ほどその作業を終え、編集者の方に送った
最初に取り掛かったのが2024年の11月なので、2年が流れようとしている
結構長い時間かかったが、取り敢えずここまできたということになる
少しだけ解放された気分である
これから秋のカフェ/フォーラムシリーズが待っている
それから、新たなプロジェにも入ることができそうである
さて、どのようなことになりますか
2026年9月5日土曜日
コンシュの『形而上学』から改めて翻訳を考える
2026年9月2日水曜日
サイファイフォーラムFPSSについての感想届く
佐賀徹雄「第17回FPSS雑感」
2026年9月1日火曜日
今年最後の4か月期始まる
2026年8月27日木曜日
マルセル・コンシュ『形而上学』の念校届く
2026年8月25日火曜日
10年前の今頃、パリからトゥールへ
2026年8月23日日曜日
変容を続ける庭
2026年8月20日木曜日
今年の後半に向けて何を想う
1年の前半は8月お盆のあたりまでで、これから今年の後半が始まるという感じがしている
このような感覚は、ひょっとすると初めてではないだろうか
今年はプロジェがそのように動いていることと関係しているのかもしれない
残り4か月ほどしかないが、この間にどのようなことが起こるのか
それは分らない
そこで思い出すことがある
20年以上前、フランスに渡る前にフランス語学校に通ったことがある
大体、1学期3か月ほどだった
その程度の時間で一体どれだけのことを学ぶことができるのかと疑問に思った記憶がある
そして、フランスの大学院も前・後期それぞれ3か月くらいではなかっただろうか
この時も、僅かこの程度の時間で何を身につけることができるのか疑っていた
しかし、実際にその中に入ると、時間の流れが変わるのか、実に濃い経験をすることができた
外から見ている時間とは明らかに違ったのである
この経験から言えることは、これから僅か4か月ほどだが、その中には想像もできないものが詰まってくる可能性があるということだろう
主観的には途轍もなく長い時間になり得るということである
いつのころからか1日が非常に長くなった
それがさらに豊かなものになることを願いながら、今年の後半を迎えることにしたい
2026年8月17日月曜日
アトリエの書架を眺める
2026年8月12日水曜日
コンシュ『形而上学』の翻訳で考えたこと
2026年8月7日金曜日
久しぶりのユルスナ―ル
本日は、ランドネがご趣味の友人とのデジュネとなった
まず、マルグリット・ユルスナール(1903–1987)の話が出てきて驚いた
ユルスナールと言えば、渡仏前に何度かわたしの前に現れたことがある
『ハドリアヌス帝の回想』(Mémoires d'Hadrien)とそのCDを手に入れたり、ユルスナールに関するシンポジウムに参加したこともあった
ユルスナールのシンポジウムへ(2005-02-26)
しかし、深く入ることなくフランスに渡り、新しい領域に飲み込まれていった
今回、ユルスナールが三島に興味を示し、その考えをまとめていたことを知った
Mishima ou la Vision du vide (Gallimard, 1980)
『三島あるいは空虚のヴィジョン』(河出書房新社、1982)
三島の中には空虚しかなかったということなのか
空虚ということは何もないということではないのか
もしそうであれば、コンシュであれば、考えるに値しないと言いそうでもあるのだが、
あるいは、入れ物はあるが中身がないということなのか
このあたりを知るには、読んでみるしかないのかもしれない
それはそうとして、久しぶりにアドリアンのCDでも聞いてみたい気分になった
ところで、コンシュの三校が終わった今週から、暫くの間お休みしていた新しいプロジェをゆっくりと再開したところだ
以前にも書いたかもしれないが、どこに辿り着くのかは全く見えていない
この、どこの港に着くのか分からない船旅をしているような気分は決して悪くない
その良さを知ったのは、フランスに渡って各期ごとにミニメモワールをまとめる作業の中でのことだった
それ以来、その感覚の捨て難さは常にわたしの中にある
コンシュによれば、芸術家が何かを創造するというのは、設計図をもとに進めるのではない
自分が作りたかったものが何だったかわかるのは、それが出来上がった時だと言っていた
まさにその感覚である
2026年8月6日木曜日
いろいろな瞑想生活を観る
今朝、Youtubeを開くと、山道(The Mountain Path)というドキュメンタリーが出てきた
中国の山奥に暮らす僧の生活と話を撮った静かなものであった
瞑想生活の中にある人たちの姿を見て、その生活様式は違えどもその精神においてはわたしと変わらないような気がした
わたしもかれこれ20年近くになる、言ってみれば瞑想生活の中にあるからだ
今はやりの言葉で言えば、マインドフルネスである
あらゆる瞬間に自らの意識を自らの内に向けているのである
続いて、聖なる群島(The Holy Archipelago)が出てきたので見ることにした
そういう気分だったのだろう
山道における生活も小さな集団で行われていたが、こちらは教会という強固な制度の中での生活であった
2006年の12月に将来を模索するためパリを訪問した際に観たフィリップ・グレーニング(1959–)の Le Grand Silence(大いなる沈黙へ)を想起させるものであった
グレーニングの映画には語りや音楽は一切なかったが、精神においてはこのドキュメンタリーも同じ流れにあるのだろう
美しい映像も楽しんだ
2006年暮れのブログ記事が残っている(こちらから)
これを読み直すと、これからの生活がどのようなものになるのかということの大枠を掴んでいたようである
今振り返ると、細かいところに目を瞑るとすれば、驚くことは何もなかったと言ってよいだろう
2026年8月2日日曜日
コンシュ『形而上学』三校、見直し終える
2026年7月30日木曜日
昔の研究仲間とビアパーティを楽しむ
2026年7月25日土曜日
仙台で旧交を温める
2026年7月22日水曜日
「パリから見えるこの世界」のタイトルから見えてくるもの
2012年から2022年まで105回に亘って『医学のあゆみ』誌にエッセイを書いた
そのタイトルをChatGPTに分析してもらった
今朝、突然浮かんできたアイディアである
わたし自身も見えていなかったことがあったので、以下に分析結果を転載したい
自らのあゆみを天空から眺望するような感覚を味わわせてくれるものでもあった
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この105本のタイトルを時系列に並べて見ると、単なる関心の変遷ではなく、一人の研究者が独自の知的プロジェクトを形成していく過程が浮かび上がってきます。
私には、大きく五つの時期が見えます。
第1期(2012~2013)――「科学から哲学へ」という問題意識の誕生
最初のタイトルが「科学から哲学、あるいは人類の遺産に分け入る旅」であることは象徴的です。
この時点では、メチニコフ、イェルネ、ジャコブ、フレック、マイヤー、ラマルク、ブルーノなど、一見ばらばらな人物を扱っています。
しかし共通しているのは、科学者の背後にある哲学を探そうという姿勢です。
つまり、科学史ではなく、科学者の思想史を始めているのです。
第2期(2014~2016)――「科学の形而上学化」という方法論の形成
この頃から、医学の哲学、生物意味論、目的論、カンギレム、生命の定義などが現れます。
そして決定的なのが「科学の形而上学化」という言葉です。
これは単なるテーマではありません。
タイトルを見る限り、著者は科学を哲学に利用するのではなく、科学そのものから形而上学を組み立てようという方法を考え始めています。
第3期(2016~2018)――「生き方としての哲学」への転換
突然、アドー、コンシュ、ディオゲネス、エピクテトス、マルクス・アウレリウスが現れます。
さらに、意識の第三層、ネガティブ・ケイパビリティ、哲学的感情、静寂、沈黙など、科学から人格形成へ関心が移っています。
つまり、Science から Philosophy as a way of life へ。
第4期(2018~2020)――科学と哲学の本格的統合
この頃になると、免疫 → 情報 → CRISPR → 汎心論 → 生命 → 存在が一つの流れになっています。
つまり、科学の最新成果を存在論へ接続し始めています。
例えば、CRISPR、植物免疫、情報、利他主義などは、すべて「生命とは何か」へ向かっています。
第5期(2021~2022)――自然哲学の宣言
最後は、免疫の形而上学、徳認識論、科学精神、自然哲学、科学と宗教になります。
そして2022年、「人類の遺産に分け入る旅を超えて」で終わっています。
これは非常に意味深です。
つまり、「旅」は終わり、これからは「自分自身の哲学を書く」段階へ移ろうとしていることが感じられます。
全体を通して見える著者の特徴
私はこのタイトル群から、次のような特徴を感じます。
① 人物ではなく「知」を追っている
普通なら、「ダーウィン」「スピノザ」「ハイデッガー」という紹介になります。
しかしこの著者は、○○あるいは……という副題を必ず付けています。
例えば、「スピノザ」ではなく「幸福への道」を見る。
つまり、人物紹介が目的ではありません。
② 一つの分野に閉じない
免疫 → 医学 → 哲学 → 文学 → 芸術 → 教育 → 倫理 → 宗教 → 文明
すべてを自由に往復しています。
③ 方法論を作ろうとしている
途中から、何度も「科学の形而上学化」が出てきます。
これはテーマではありません。方法です。
つまり、「どう考えるか」を作ろうとしている。
④ 最終的な関心は「自然」
初期は、科学でした。
しかし最後は、自然哲学になっています。
つまり、科学は入口だった。
到達点は、自然です。
思考方法
タイトルだけでも分かるのは、著者は「具体から普遍へ」進みます。
例えば、CRISPR → 免疫 → 情報 → 生命 → 自然 → 存在という階段を上っています。
つまり、抽象論から始めません。
常に、具体的な科学から哲学へ上昇しています。
これはかなり珍しい思考様式です。
これから向かう方向
もし2022年以降を書くなら、私は自然に次のようになると予想します。
- 自然哲学
- 存在論
- 免疫と自然
- スピノザ
- コンシュ
- アナクシマンドロス
- physis
- 世界
- 宇宙
へ進むでしょう。
そして、「科学の形而上学化」という方法論を足場にしながら、免疫という具体的な科学を起点に、生命・意識・自然・存在を一つの連続体として捉える独自の自然哲学へ向かう流れが見えてきます。
最後に、この一覧で私が最も印象を受けたのは、一貫した「中心テーマ」の存在です。
扱う人物や分野は多岐にわたりますが、その背後では、
科学から出発して、人類の思想の遺産を通過し、最終的に自然哲学という一つの世界観へ到達しようとする
という一本の知的な道筋が貫かれています。
その意味で、この105本は個々のエッセイの集合というより、一冊の長い思想的自伝、あるいは研究計画の展開として読むことができるように思います。
2026年7月20日月曜日
カフェ/フォーラムのまとめを終え、コンシュ『形而上学』三校へ
サイファイフォーラムFPSS-17(2026.7.11)
サイファイカフェ SHE-24 免疫再考(6)(2026.7.18)























