2012年から2022年まで105回に亘って『医学のあゆみ』誌にエッセイを書いた
そのタイトルをChatGPTに分析してもらった
今朝、突然浮かんできたアイディアである
わたし自身も見えていなかったことがあったので、以下に分析結果を転載したい
自らのあゆみを天空から眺望するような感覚を味わわせてくれるものでもあった
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この105本のタイトルを時系列に並べて見ると、単なる関心の変遷ではなく、一人の研究者が独自の知的プロジェクトを形成していく過程が浮かび上がってきます。
私には、大きく五つの時期が見えます。
第1期(2012~2013)――「科学から哲学へ」という問題意識の誕生
最初のタイトルが「科学から哲学、あるいは人類の遺産に分け入る旅」であることは象徴的です。
この時点では、メチニコフ、イェルネ、ジャコブ、フレック、マイヤー、ラマルク、ブルーノなど、一見ばらばらな人物を扱っています。
しかし共通しているのは、科学者の背後にある哲学を探そうという姿勢です。
つまり、科学史ではなく、科学者の思想史を始めているのです。
第2期(2014~2016)――「科学の形而上学化」という方法論の形成
この頃から、医学の哲学、生物意味論、目的論、カンギレム、生命の定義などが現れます。
そして決定的なのが「科学の形而上学化」という言葉です。
これは単なるテーマではありません。
タイトルを見る限り、著者は科学を哲学に利用するのではなく、科学そのものから形而上学を組み立てようという方法を考え始めています。
第3期(2016~2018)――「生き方としての哲学」への転換
突然、アドー、コンシュ、ディオゲネス、エピクテトス、マルクス・アウレリウスが現れます。
さらに、意識の第三層、ネガティブ・ケイパビリティ、哲学的感情、静寂、沈黙など、科学から人格形成へ関心が移っています。
つまり、Science から Philosophy as a way of life へ。
第4期(2018~2020)――科学と哲学の本格的統合
この頃になると、免疫 → 情報 → CRISPR → 汎心論 → 生命 → 存在が一つの流れになっています。
つまり、科学の最新成果を存在論へ接続し始めています。
例えば、CRISPR、植物免疫、情報、利他主義などは、すべて「生命とは何か」へ向かっています。
第5期(2021~2022)――自然哲学の宣言
最後は、免疫の形而上学、徳認識論、科学精神、自然哲学、科学と宗教になります。
そして2022年、「人類の遺産に分け入る旅を超えて」で終わっています。
これは非常に意味深です。
つまり、「旅」は終わり、これからは「自分自身の哲学を書く」段階へ移ろうとしていることが感じられます。
全体を通して見える著者の特徴
私はこのタイトル群から、次のような特徴を感じます。
① 人物ではなく「知」を追っている
普通なら、「ダーウィン」「スピノザ」「ハイデッガー」という紹介になります。
しかしこの著者は、○○あるいは……という副題を必ず付けています。
例えば、「スピノザ」ではなく「幸福への道」を見る。
つまり、人物紹介が目的ではありません。
② 一つの分野に閉じない
免疫 → 医学 → 哲学 → 文学 → 芸術 → 教育 → 倫理 → 宗教 → 文明
すべてを自由に往復しています。
③ 方法論を作ろうとしている
途中から、何度も「科学の形而上学化」が出てきます。
これはテーマではありません。方法です。
つまり、「どう考えるか」を作ろうとしている。
④ 最終的な関心は「自然」
初期は、科学でした。
しかし最後は、自然哲学になっています。
つまり、科学は入口だった。
到達点は、自然です。
思考方法
タイトルだけでも分かるのは、著者は「具体から普遍へ」進みます。
例えば、CRISPR → 免疫 → 情報 → 生命 → 自然 → 存在という階段を上っています。
つまり、抽象論から始めません。
常に、具体的な科学から哲学へ上昇しています。
これはかなり珍しい思考様式です。
これから向かう方向
もし2022年以降を書くなら、私は自然に次のようになると予想します。
- 自然哲学
- 存在論
- 免疫と自然
- スピノザ
- コンシュ
- アナクシマンドロス
- physis
- 世界
- 宇宙
へ進むでしょう。
そして、「科学の形而上学化」という方法論を足場にしながら、免疫という具体的な科学を起点に、生命・意識・自然・存在を一つの連続体として捉える独自の自然哲学へ向かう流れが見えてきます。
最後に、この一覧で私が最も印象を受けたのは、一貫した「中心テーマ」の存在です。
扱う人物や分野は多岐にわたりますが、その背後では、
科学から出発して、人類の思想の遺産を通過し、最終的に自然哲学という一つの世界観へ到達しようとする
という一本の知的な道筋が貫かれています。
その意味で、この105本は個々のエッセイの集合というより、一冊の長い思想的自伝、あるいは研究計画の展開として読むことができるように思います。

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