昨日記事にした森氏の歌のもとになった詩が書かれたオリジナルサイトを再度読み返してみた
そうすると、足を使うことが思考に影響を与えるというテーマがそこにあることに気づいた
それは、土曜のFPSSで林氏が取り上げたことでもあった
今日気づいたのは、1時間足らずの間に、これまでの人生とこれからの人生を集約するような思想が詰め込まれた15余りの詩が自分の中から出てきたということ、しかもそれはこの人生においてこの時だけの出来事であったということである
当時は、これから先が見えない状況で、「全身の受容体の感度が極限まで亢進していた」と表現したこともあるくらい、精神の緊張感、集中力がそれまでにないほどに高まっていた
その上、希求する心のエネルギーが想像を超えるレベルに達していた可能性もある
そのような状態であったからこそ起こった出来事ではないか
しかもそれは、身体の活動が加わった上でのことであった
つまり、全身の力がもたらした奇跡のような(自分でも信じられない)出来事と言えるのではないだろうか
同じく土曜のFPSSで議論された中に、絶対的真理に至る最終段階としての「intuitive leap」(直観的飛躍)とはどういうものなのかという問題があった
今朝、一生のうちに一度だけしか起こらなかった説明不能の2007年春の出来事が、その問題につながる糸口を提供してくれているのではないかと思い当たった
2017年に書いた絶対的真理への道に関するエッセイには、次のようなことが書かれてある
この飛躍にとって重要になるのが、形而上学の方法論でもある瞑想、あるいは瞑想が齎す精神や身体に対する諸々の影響ではないかと考えている。それは、その存在の全体が生み出す力のようなものである。(その)ためには、いかなる時間も無駄にできない。何が真理の基となる個々の事実の発見に繋がるのか分からないからである。つまり、どんな時間にも同等の価値を置かなければならなくなる。・・・わたしが想像している絶対的真理は、日常生活や「いまここ」で出回っている意見から離れた内的生活を長く続けた先に見えてくるもので、内的生活の密度と深さが跳躍力を決めることになるのではないかというものである。
モンテーニュが「生きることを仕事にする」と言ったように、日々、内的生活の密度と深さを高めていくように努めていった先にそのような飛躍の時が、おそらく予期せぬ形で現れるのではないか
しかもそれは身体の活動が誘発する可能性が高いということである
まさしく、その存在全体の力に比例して飛躍の力が現れるのではないか
2007年春の出来事がそのことを教えてくれているようである
今は期待を含め、ここまでとしておきたい

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