本日は、ランドネがご趣味の友人とのデジュネとなった
まず、マルグリット・ユルスナール(1903–1987)の話が出てきた
ユルスナールと言えば、渡仏間に何度かわたしの前に現れたことがある
『ハドリアヌス帝の回想』(Mémoires d'Hadrien)とそのCDを手に入れたり、ユルスナールに関するシンポジウムに参加したこともあった
ユルスナールのシンポジウムへ(2005-02-26)
しかし、深く入ることなくフランスに渡り、新しい領域に飲み込まれていった
今回、ユルスナールが三島に興味を示し、その考えをまとめていたことを知った
Mishima ou la Vision du vide (Gallimard, 1980)
『三島あるいは空虚のヴィジョン』(河出書房新社、1982)
三島の中には空虚しかなかったということなのか
空虚ということは何もないということではないのか
もしそうであれば、コンシュであれば、考えるに値しないと言いそうでもあるのだが、
あるいは、入れ物はあるが中身がないということなのか
このあたりを知るには、読んでみるしかないのかもしれない
それはそうとして、久しぶりにアドリアンのCDでも聞いてみたい気分になった
ところで、コンシュの三校が終わった今週から、暫くの間お休みしていた新しいプロジェをゆっくりと再開したところだ
以前にも書いたかもしれないが、どこに辿り着くのかは全く見えていない
この、どこの港に着くのか分からない船旅をしているような気分は決して悪くない
その良さを知ったのは、フランスに渡って各期ごとにミニメモワールをまとめる作業の中でのことだった
それ以来、その感覚の捨て難さは常にわたしの中にある
コンシュによれば、芸術家が何かを創造するというのは、設計図をもとに進めるのではない
自分が作りたかったものが何だったかわかるのは、それが出来上がった時だと言っていた
まさにその感覚である

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