今週はどうしたことか、一週間の休日をもらったような気分になっている
こういうことはあまり経験したことがない
コンシュ『形而上学』の三校を終えてから一週間が経過して、ゆったりした気分になってきたのかもしれない
その気分に逆らうことなく過ごして、3日目に入ったことになる
昨日あたりは、かなり長い間リラックスした時間の中にいたと思ってカレンダーを見たところ、まだ2日しか経っていないので驚いた
いつも感じていることだが一日が長いので、たっぷりとそれを味わわせていただいている
その感覚から言えば、特に驚くこともなかったのだが、、以前の感覚で言えば、ということなのだろう
いずれにしても、時間の感じ方でこの人生は大きく変わるということだけは確かだろう
仕事をしていたり、時間に追われたりしていると、どうしてもカレンダー時間を頭に描くことになる
そうなると、時間に追われていることが充実した状態だと錯覚しやすくなる
時間の持つ豊かさ、さらに言えば無限の広がりがそこにあることに気づけなくなる
幸福を求めて人生を送っているとすれば、幸福のかなりの部分を味わうことなく人生を終えることになりかねない
ところで、時間の問題はコンシュ『形而上学』でも取り上げられている
この本は、考えるべき問題――例えば、時間、道徳、倫理、哲学、形而上学、科学、宗教などの基本的な問題――をどのように考えべきなのかについて、一つの道筋を提示していると見ることができる
その意味では、訳者にとってだけではなく、多くの方の参考になるものと言えるだろう
それから、以前に翻訳をした時にも感じたことだが、翻訳は原著者の語り口と同じものにはなり得ず、あくまでも訳者のものであるということである
前回、科学書を翻訳した時、著者を日本に招いて講演会があった
その時、訳書を読んだ人が原著者に向かって「先生が・・・と書いているのは・・・」と発言しているのを聞き、違和感を覚えたことがある
その内容はともかく、その言葉遣いは訳者のものであることを知っていたからである
翻訳しながら、原著者の表現を再現することは不可能であり、訳者のものにしかなり得ないことを身に沁みて理解していたからである
純科学の場合であればまだしも、哲学となるとその仕事は想像を超えるものになる
さらに今回、小見出しを付けることになった
どこにどのような小見出しを入れるのかという組み合わせは、ほとんど無限にある
その選択によって本書が全く違うものになり得るということである
訳者はその中の一つを選んだことになる
小見出しを付けることにより、この書は二重三重に訳者のもの以外ではあり得なくなった
大変な選択をしたことに気づいた静かな休日である

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