一昨日のこと
寝る前にテレビをつけると、以前に見たことがあるノーラン・ライアン(1947- )のドキュメンタリーが流れていた
メジャーリーグでノーヒットノーラン7回の大投手である
その番組の最後で、ライアンが発した言葉が "I was born to be a pitcher." であった
彼の場合、野球のキャリアが終わった後は余生なのかもしれない
I was born to be ... の先に何かを加えることができる人は幸いなのか
わたしの場合かなり前から、それは人生の最後にならなければ分からないと考えるようになっている
つまり、それを知るために歩むのが人生だという認識に至っているということである
さて今日もポパー(1902-1994)によるプラトン論で、平等主義の検討から入るようである
平等主義とは、国家の市民を平等に取り扱うべしという要求だとする
出生、血縁、富が法の執行者に影響を与えてはならず、「生まれつきの(自然な)」特権は承認しないということである
我々の法は、すべての市民に対し、その私的な揉め事においては平等な仕方で平等な権利を付与する。しかし卓越性の要求を見落としはしない。ある市民が卓越した行為をするならば、その者は優先的に公職に登用される。特権によってではなくして、彼の貢献に対する褒美としてである。彼の貧困がその障害となることはない。
このような考えは、ヘロドトス(c. 484-c. 425 BC)をはじめとする当時の知識人によって表現されていたという
プラトンの正義の原則は、当時出回っていた思想に対立するものであった
彼は生まれついての指導者には自然の特権があることを主張した
平等主義者は生まれつきという生物学的な平等性を基にした議論を展開した
しかし、人間には生まれつき不平等があるので、これが平等主義の弱点になる
この点をプラトンは突いたとポパーは考えている
「平等でないものを平等に扱うことは不平等を生み出さざるを得ない」というわけである
「ひとしいものには平等を、ひとしくないものには不平等を」というフォルミュールに至るのである
それでは、プラトンが言う生まれついての特権について、彼はどのような論証をしているのだろうか
これに対して、「自分自身の仕事を気にかける」とか「自らが属する階級とかカースト内における場所や労働を保持することが正義である」と言っている
要するに、自身に属するものを維持することが正義になるのである
それから最後の論証は、集団主義あるいはホーリズムの原理を持ち出し、個人の目的は国家の安全性を維持することにあるという原理と関係する
これについては後に議論するようだ
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