まず、プラトン(427-347 BC)の正義についての考えを検討してみたい
我々が一般的に正義について思い浮かべるのは、次のようなことではないだろうか
1)社会生活において必要な自由の制限を平等に分かち合うこと
2)法の下での市民の平等な扱い
3)法そのものが、特定の市民や集団や階級を優遇あるいは冷遇しないこと
4)裁判が党派的ではないこと
5)市民に供される重荷のみならず利益に平等に関与すること
もしプラトンが正義をこのように考えていたのなら、全体主義的だとしたポパー(1902-1994)自身は間違っていたと考える
しかし、そうではないと『国家』における「正しい」という言葉を分析して結論する
プラトンは『国家』の中で、「最善国家のためになるもの」が「正しい」のだと主張している
つまり、厳格な階級区分と階級支配を維持して、一切の変化を阻止することである
この視点からみれば、プラトンの政治綱領は全体主義と一致すると見てよいだろうとポパーは言う
国家共同体においては、各人は自分の本性に最も相応しい一つの仕事をすべきであるとする
大工は大工仕事に、靴屋は靴作りに専念すべきであり、労働者が戦士時階級に上昇しようとしたり、戦士が監視者階級に入り込もうとするのは、国家の没落を意味する
3階級間でのいかなる変更、交換も不正ということになる
プラトンの正義は、階級支配、階級的特権の原理と同じことなのである
すなわち、支配者のみが支配し、労働者は労働し、奴隷はその役を果たす時、国家には正義が訪れることになる
このように、プラトンの正義は我々が思い描くものと根本的に異なっているのである
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