2024年3月26日火曜日

ポパーによる「プラトンの呪縛」(21)政治綱領(3)
































我々が普通に考える正義とは異なる考えを持っているプラトン427-347 BC)の方が正しいのではないか

そういう疑念も湧いてくる

しかしもしそうだとしたら、ポパー(1902-1994)は全身全霊で不正義に与すると宣言する

こういう見方もある

当時のギリシア人の正義とは、全体、例えば国家の健康ということに関連していたのではないか

我々の基準で、当時の伝統的な全体論的考えを批判するのは不公平ではないのか

しかしポパーは、これらの考えに同意しかねるという

なぜなら、『国家』以前の対話篇『ゴルギアス』に「正義とは平等である」という見方が人民によって採られており、それは「自然そのもの」だとも書いているからである

また、プラトンの弟子であるアリストテレス(384-322 BC)は、「すべての人間が正義とは一種の平等であると」見做してきたと語っているという

もしこのような見方が当時も一般的であったとするならば、プラトンは『国家』において新しい考え方を吹き込んだことになる

なぜそのようなことをしたのだろうか

法の下での人間の平等を目指した人たちに懐疑と混乱を広め、そのような運動を麻痺させるためか

ポパーによれば、プラトンは法の下での人間の平等を目指す運動は不倶戴天の敵であると考えていたという

これからその論証が始まるようだ









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