2024年3月19日火曜日

ポパーによる「プラトンの呪縛」(15)自然と協定(4)






























久し振りにポパー(1902-1994)のプラトン(427-347 BC)論に戻ってみたい

3週間ぶりくらいだろうか

カフェ/フォーラムウィークのほとぼりを冷ますには丁度良さそうだ


まず、プラトンが使う「自然」(physis: ピュシス)という言葉にはいろいろな意味がある

一つは、存在するものという意味もある「本質」と一致する使い方だ

そのため今日でも、本質主義者は「本性」(Natur: 本質)という言葉を使うという

これはプラトンにとっては、「形相」とか「イデア」とほとんど同じ意味である

しかし、本質と形相・イデアとの間には次のような違いがあるとポパーは言う


知覚対象物の形相・イデアは、そのものの中にあるのではなく、先祖・始祖の中に分離されて存在している

その形相・イデアは、そのなかのあるもの(=本質)を後裔に当たる知覚対象物に引き渡すのだという

それはそのものに内在する本質になり、形相・イデアに属するものである

したがって、「自然な」ということは、元々割り当てられ、ものに具わっているものということになる

これに対して「人為的な」というのは、人間が外から強いたり、変更したり、付け加えたりしたものである

したがって、人為(技術や芸術)から生まれたものは、神的な形相・イデアの模倣にしか過ぎず、真実からは遠ざかるのである

つまり、自然と協定・人為との対立は、真と偽、真実に在るものと現象に過ぎないもの、本来的なものと二次的なもの、神の技から生まれたものと人間の技が作るものなどの対立に対応している

「自然」という言葉で言いたいのは、最初にそこに在ったもののことで、魂こそがそれであるとプラトンは考えている

身体よりも魂が形相・イデアに近いのである


プラトンが「ピュシス」という言葉を人間に使う時、人間の精神的諸能力、天分、生まれついての力量を表しており、かなりの程度魂に近い

プラトンは「種族」という言葉もよく使うようで、形相・イデアのあるものを始祖から受け継いだ同一の本性を持つ後裔のことを言うらしい

これを生物学の用語で言えば、「クローン」ということになるだろうか








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